かがりチャンのクソブログ

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法隆寺より近代和風建築の方が面白い

▼明治時代は洋風建築よりも和風建築

明治時代の建築と言えば、世間的には洋風建築のイメージが強いと思います。教科書に載っている明治の建築作品といえば辰野金吾の「日本銀行本店本館」や「東京駅丸の内本屋」、山東の「迎賓館赤坂離宮」ですし、文明開化のイメージが銀座の赤レンガ街ですから必然的にそうなるでしょう。

ところが、明治以降に飛躍的に発展したのが、むしろ伝統的な和風建築なのです。一説によれば、この時代に建設された建築の8~9割は和風なのだそうです。

明治時代、岩崎家や三井家などの財閥も、日常の生活は和風建築で行い、洋風建築は賓客を接待する場として使っていました。東京・湯島にある「旧岩崎家住宅」はその典型です。文明開化の世の中とはいえ、まだまだ伝統的な生活様式が色濃く残っていた時代ですから、和風建築の需要は依然として多かったといえます。

明治~昭和初期は、質、量ともに最高峰の和風建築が建てられた時代といわれます。この時代に建てられた和風建築を特に近代和風建築といい、近年、評価が進んでいます。

 

▼評価が進む近代和風建築

昭和の時点で、「吉島家住宅」などの近代和風建築が重要文化財に指定されていましたが、本格的に指定が進んだのは平成になってからです。どちらかと言えば住宅などが多かったのですが、昨年は「東本願寺」や「永平寺」の主要伽藍が一括で指定されました。

 

▼和風建築発展の要因

なぜ、明治時代に和風建築が発展したのでしょうか。私は以下の4つが重要なポイントだと考えています。

・洋風の技術と伝統技術の融合

身分制度が撤廃された

・鉄道の建設

・洋風建築に刺激された大工棟梁の存在

まず、トラス構造など西洋の技術が導入されたことで、無柱の大空間を造ることができるようになるなど、これまでにない建築表現が可能になったことが挙げられます。

また、江戸時代は身分制度によって、使える木材に制限がありました。どれほどの金持ちでも例外ではなく、無断で使用できない木材で住居を建てたことで処罰された商人もいます。明治に入るとこうした制約が撤廃され、金があれば良材を惜しげなく使えるようになったのです。

そして、鉄道網が全国に整備されたことで、木材の輸送が容易にできるようになりました。物流の発展によって、銘木の産地から全国へ良材が運ばれていったのです。近代和風建築には、屋久杉をはじめ、現在では到底使用できない銘木を使って施工された例がいくつもあります。

 

▼大工棟梁や建築家の活躍

立石清重高橋兼吉のように、洋風建築に刺激を受けて独創的な仕事をした大工棟梁もいます。高橋は洋風のデザインを取り入れた「旧鶴岡警察署庁舎」や「西田川郡役所」などの擬洋風建築の作品で知られますが、伝統的な「善宝寺五重塔」などの作品もあります。

なお、辰野金吾ら洋風建築の大御所も、和風建築を数多く手掛けています。辰野は「奈良ホテル」などの作品がありますし、弟子の長野宇平治は和風の庁舎建築の代表作である「奈良県庁舎」を設計しています。

関西で活躍した武田五一は「円教寺摩尼殿」などの傑作があり、河口庄一による「岩屋寺大師堂」のような仏堂の中に洋風の意匠を加味した建築も現れ、和風の表現の幅が広がったといえます。

 

近代和風建築 日本の美術 (No.450)

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近代和風建築

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近代和風建築―伝統を超えた世界〈上巻〉

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