グランドセイコーの新作が登場し、時計界隈をにぎわせています。
しかし私は、どうもこの時計を見ても、売れるとは到底思えません。というより、パッと見た時に、凄さが分からなかった。「あ~~ またいつものような昔の時計を現代風に解釈したデザインかな?」と思ったくらいです。
ムーブメントがとにかく凄いことは、広田編集長が書いている原稿を読んだら、なんとなくわかりました。開発から実際に搭載するまで、セイコーがいかに苦労し研究を重ねたのかが理解できます。
しかしながら、まして450万円の時計であれば、この時計を買わずとも、パテックやAPやランゲを買ったほうがいいと思えます。
私が疑問視するのはデザインです。これは何回も何回もこのブログで書いていることですが、国産の時計が弱いのはデザインです。昨年のシチズンの年差±1秒の新作に対しても書いたことなのですが、とにかくデザインからハイスペックな時計であることが、まったく伝わってこないのです。
今回の新作も、通常のグランドセイコーにしか見えない。なんなら、既に出ている金無垢のクォーツやスプリングドライブと何が違うのか? とすら思える。
日本の腕時計メーカーは、機能の凄さをデザインに反映させることが、致命的にヘタクソです。
スイスのウブロやリシャール・ミルを見てください。時計にぜんぜん興味が無く、ムーブメントなんて全然わからない素人でも、見た目が未来的で凄そうだと思えます。ウブロが時計を作れば、ETAの汎用ムーブを載せた時計でも凄いハイスペックな時計に思えてきます。
ところが、セイコーのデザインは極めて優等生的で、通常の時計と何も変わらないように感じてしまうのです。
スペックの凄さをデザインに反映できているわかりやすい例は、新幹線の500系でしょう。これはドイツのデザイナーが手掛けたものです。登場から20年以上が経過し、今やこれよりも速い新幹線があるのに、いちばん速そうに思えますし、子どもにも圧倒的な人気を誇ります。
昨今の日本の工業デザインは、説明を聞かないとわからないものが多いのです。
佐野研二郎のお蔵入りになったオリンピックのシンボルマークしかり、隈研吾の新国立競技場しかり。1964(昭和39)年の東京オリンピックの亀倉雄策のシンボルマークや丹下健三の国立代々木競技場、どちらがスポーツの感動や勢いを形にできているのかは、説明するまでもないでしょう。
このように書くと、お前なんか所詮ニワカだから時計の良さなんてわからないだろうと言われるかもしれませんし、実際に言われました(笑)。
その通りで、私はただのニワカです。
しかし、思うに、革新的なものであればあるほど、ニワカにもわかるデザインは重要なのではないでしょうか。素人にも凄さが伝われば、憧れの対象になります。そして、ブランド力があがっていくと思うのです。セイコーはブランド化を躍起になってすすめていますが、残念ながらその領域には達していないように思います。
時計愛好家と呼ばれる人たちだって、ムーブメントが云々と蘊蓄を語れる人は、そうそう多くないでしょう。見た目で選んでいる人だってごまんといるはずです。そういう人たちにも訴えられるようなデザインを作れば、もっともっと売れるのではないでしょうか。
私が思うに、セイコーがこの超ハイスペックな新作ムーブメントを発表するのであれば、まずはグランドセイコーではなくてガランテのような時計に載せるべきだったと思います。
なぜならば、ガランテはセイコーらしくないイケイケな見た目の時計で、いかつく、迫力があり、かっこよく、インパクトがある。見た人をおおっと思わせるだけの力がある時計です。
しかしガランテは、時計ジャーナリストからもほとんど言及されることがなく、新作が出てもWEB記事などで扱われることは非常に少ない、と言うよりも皆無に近い。展示会でも隅っこに追いやられ、セイコー自身がもはやほとんど力を入れていないように思います。
デザインってやっぱり大事だなあと、今回の新作を見て私は強く感じてしまいました。
あと、セイコーの場合は時計の売り方にも大きな問題があると思うのです。既に書いているので、こっちも読んでください(笑)。