頭のネジが手巻きで止まっている かがり美少女の中の人ブログ

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1990年代初頭、タグ・ホイヤーの伝説のパーティー

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▼かつては高級腕時計がどこでも買えた

現在、腕時計業界は景気がいいのだろうか。僕は数々の時計屋にインタビューをしてきた印象だと、まあ、確実に景気はよくないだろうと思う。

現在、いわゆる高級腕時計を扱えるのは都市部にある一部の資本力のある時計店や、百貨店に限られつつある。一方で、ほんの20年前くらいには、地方の小さな店でも高級腕時計を扱っていた。つまり、全国津々浦々で、それだけ売れていたということである。

日本人の多くが腕時計を買っていた90年代ごろまでは、個人経営の時計店であっても、一定の売上があればメーカーや問屋が協力して、大々的なフェアを開催していた。そして、今では想像ができないくらい、イベントやフェアのやり方も派手だった。

メーカーが正規店を絞ったのは高級化のためでもあろう。その一方で、取り扱い店を絞れば、それだけ営業の手間が省けて、人件費やコストの削減になる。余裕がない、ということの表れではないか。

話を戻そう。東京のある商店街にある時計店は、タグ・ホイヤーの正規店だった。90年代当時はワールド通商が正規輸入代理店で、そのフェアも豪華極まりないものだったという。

 

タグ・ホイヤーの凄いフェアの内容

店主の話をもとに、当時のフェアの様子を再現してみよう。

ワールド通商から提案されたタグ・ホイヤーのフェアの期間中、店内には金無垢の特別なモデルからレギュラーラインまで、100本以上のモデルが並ぶ。そんなのはまだ序の口で、店のエントランスから店内の内装まで、すべてをタグ・ホイヤー仕様のディスプレイに改造してくれたのだという。エントランスには儲けられるのは木製の豪華なゲートだ。タグ・ホイヤーの世界観が店内外に展開される、凄い仕掛けだ。

極めつけは、当時のワールド通商の社長の、この提案だ。

マクラーレン、貸しましょうか? フェアの期間中は店内に飾っていいですよ」

「いやいや、そんなのうちの店内に入りませんって!!」と店主は断ったそうだが、後日、試乗させてもらったそうである。聞けば、当時タグ・ホイヤーアイルトン・セナのスポンサーを務めていた関係で、ワールド通商の社長が買ったものだそうだ。つまり、私物の貸し出しというわけだ。

これは百貨店の催事ではない。ワールドウォッチフェアなどのイベントではない。東京都内とはいえども、小さな個人経営の時計屋での話である。それだけメーカーも、代理店も、国内での販売に力を入れていたのだ。

 

▼小売店向けのパーティーの誘い

この時計店は、タグ・ホイヤーの都内有数の正規店だった。店主は90年代初頭に、忘れられない体験をしたと当時を振り返る。

ワールド通商の営業担当から「売店向けのパーティーを開催しますので、いらしてください」と話があった。しかも「絶対に来てください」と念を押されたという。店主はなんだか意味深だなと思い、会場の帝国ホテルまで出かけた。

会場には全国から小売店の関係者が、200人くらい集まっていた。まず会場に入って驚いたのが、アイルトン・セナがチャンピオンになったときに乗車した、マクラーレンの実機が恭しく展示されていた。もちろん、これだけで店主の興奮は最高潮だ。

テーブルに付くと、料理も豪華だった。帝国ホテルの普段のありがちなバイキング料理とは明らかに異なる、鮨から肉まで、何もかもが異常に美味い。気合の入り方が違う、明らかに通常とは違うパーティーだと、直感したという。

 

▼パーティー最大のメインイベントへ

他の店主と歓談をしていると、いきなり室内の照明が真っ暗になった。

店主は「停電かな?」と思ったという。すると、ステージ上にスポットライトが当たった。そして、レーシングスーツを着た人物が現れた。

アイルトン・セナ、本人だった。

店主は目を疑った。まさか本人が来るわけがない、よくできた蝋人形じゃないのかと思ったという。しかし、会場が一斉にざわつき始め、本物であるとようやく理解できた。レーシングスーツを纏い、ヘルメットを抱えたセナの姿は、オーラが違っていた。今でも忘れられないという。タグ・ホイヤーの正規店をやっていてよかったと、感無量だったと話す。

その直後、1994年、サンマリノグランプリでセナは事故死。34歳と言う若さで、帰らぬ人となった

 

▼伝説を目の当たりにした店主の店のその後

ロレックスやパテック・フィリップなどと同様に、タグ・ホイヤーもまた、正規店を大きく削減している。扱えるのは資本力のある時計店、もしくは百貨店に限られている。

セナを目の前で見るという衝撃的な体験をした店主の店も、正規店から外れた。というより、そのイベント会場にいた時計店の多くが、正規店ではなくなってしまった。そして、タグ・ホイヤーの正規輸入代理店もワールド通商ではなくなった。

金無垢のタグ・ホイヤーを売りまくり、フェアまで開催し、正規輸入代理店の社長からマクラーレンの実機を貸しますよと言われた店が、正規店から外れてしまう。時計業界の現状は、ひょっとすると、出版不況といわれている書店の業界よりも深刻なのかもしれない。

売上に貢献したお店をバッサリと切ってしまい、大きな時計店や百貨店に取扱店を集約させるのは、ブランド化という点では正解なのかもしれないが、果たしてそれでいいのだろうかと考えてしまう。

少なくとも言えるのは、現在の高級腕時計と呼ばれるブランドは、商品の魅力や、作りの良さだけで、現在の地位を築いたのではないのである。その陰には、こうした小さな時計店の努力があったのである。