かがり美少女の中の人ブログ

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世界遺産になるべきだった長野県の岡谷市

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▼富岡と岡谷

2014年、群馬県富岡にある「富岡製糸場」が世界遺産に登録されました。僕はこのとき、セットで登録されるべきだったと思った地域があります。それが長野県(信州)であり、特に岡谷です。

岡谷は日本の絹産業・製糸業を牽引した都市でした。建築ヲタの間では伝説になっている5~6階建ての繭倉庫「吉田館」など、明治時代では異例の高層建築が立ち並んでいました。

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↑ 吉田館の繭倉庫。5階建ての繭倉庫(左)が見える。6階建てのものもあったというから、驚きです。

「おかやナビ」http://okaya-navi.info/search/aruki_taro/okaya/detail/77/ より引用


しかし、その多くが失われ、見ることができません。吉田館は1993年まで残っていましたが、取り壊されてしまいました。

現在、上田の笠原工業の「常田館製糸場」に4階建てと5階建ての繭倉庫が現存していますが、岡谷は「金上繭倉庫」の3階建てが最高層です。

建築が残っていれば、間違いなく、富岡とセットで世界遺産に登録されていたことでしょう。

 

▼官と民、レンガ造と木造

富岡と岡谷はともに絹産業のメッカでしたが、異なる発展の仕方を辿っています。

簡単に言えば、富岡は“官”営の模範工場でしたが、岡谷は“民”営の工場が中心だったのです。

岡谷は山間部に位置します。広い耕地に恵まれず、冬の寒さも厳しい土地でした。そのため、既に江戸時代の頃から、人々は生計を立てるために養蚕を行っていました。

明治時代に入ると、中山社が安く利便性の高い諏訪式繰糸機を発明します。これは全国に広まった代表的な器械であり、圧倒的な効率化が実現されました。こうした数々の発明を受け、民間の手によって、岡谷には製糸工場が相次いで建設されていったのです。

建築の構造も異なります。富岡製糸場は、フランスの技術を参考に建設されたので、洋風のレンガ造。一方、岡谷をはじめとする信州の繭倉庫は、 江戸時代から継承された伝統的な土蔵の建築技術を発展させているため、木造が主体になっているのです。

国内全体で見ても、養蚕関係の建築は、富岡よりも信州のような木造で建てられることが多かったようです。

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↑ 富岡製糸場の東繭置所。お雇い外国人のフランス人、ポール・ブリューナの指導をもとに整備したため、洋風で建設されています。

「しるくるとみおか 富岡市観光ホームページ」http://www.tomioka-silk.jp/ より引用。


▼世界に知られていた岡谷

岡谷は多い時では105棟にも及ぶ繭倉庫が軒を連ね、およそ1000本もの煙突がそびえていたといいます。最盛期には3万人もの工女が日本中から集まったといいます。

そして、岡谷の生糸は中央本線を経由して横浜まで運ばれ、世界に輸出されました。絶頂期は日本産の生糸の4分の1が岡谷系の企業産だったといいます。そして、ニューヨークでは“Silk Okaya”と呼ばれ、品質が高く評価されていたのです。

これは、製品を通じて日本の名前が世界に知られた、最初期の例といえるでしょう。世界に影響を与えたという意味では、富岡よりも世界遺産にふさわしいかもしれません。

 

▼中国産の生糸に敗北して壊滅

岡谷は今でいえば愛知県の豊田のようなモノづくり都市でした。

ところが、日本のモノづくりに超ありがちなパターンですが、中国産の安い生糸に敗北し、あっさりと岡谷の製糸業は壊滅してしまいました。日本のモノづくりは何度このパターンを繰り返しているのでしょうか。腕時計産業然り、テレビなどの家電製品然り。歴史に学ぶ必要があります。

岡谷の街を歩いていると、「旧林家住宅」などの生糸で財を成した実業家の邸宅などはありますが、巨大な繭倉庫は見当たらず、寂しい限りです。

日本のモノづくりの栄枯盛衰をもっとも物語っている岡谷の絹産業・製糸業。世界遺産の富岡と合わせて、広く知られるべき文化遺産だと思っています。

 

富岡日記 (ちくま文庫)

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