▼我が家では食うに困らなかった
小学校のとき、第二次世界大戦の戦時中の暮らしをじいちゃんばあちゃんに聞いて、レポートにまとめるという課題がありました。
ところが、困ったことに、僕のじいちゃん(大正15年生まれ、2年前に死去)はいわゆる学校が喜ぶようなコメントをしてくれませんでした。
「戦時中も貧しい思いはしていない」
「普通に白米を食べていた」
「都会から米が欲しいと言ってくる人たちが来て、大変だった」
「戦後も米が余っていたから、東京に売りに行くと高い値段で売れたので、遊んで帰ってきた」
これではレポートにならないと思い、終戦前後が舞台のアニメ映画「うしろの正面だあれ」や「火垂るの墓」の内容をもとに、子どもなりに捏造して提出した記憶があります。
で、友人の発表内容は朧気にしか覚えていません。しかし、上空をB-29が飛んで行ったとか、弟がみんな兵隊に行って大変だったという話はありましたが、ひもじい思いをしたというエピソードを発表した人は、いなかったと思います。
▼戦時中の農村と、都市の違い
我が家は秋田県の片田舎ですが、山形県、宮城県でも同様の話を聞きました。戦時中でも普通の生活を送っていたという家は、農村では少なくないようです。
「火垂るの墓」で清太と節子はお母さんが残した貯金7000円(現在の価値では数百万円でしょうか?)を持っていましたが、食べ物を手に入れることができず、栄養失調で死んでしまいます。当時は、お金よりも食べ物があった人の方が勝ち組だったのです。ましてや、食べ物を自宅で生産できれば無敵でした。
教科書に、戦前の東北地方の農村の子どもが、大根を齧っている写真が載せられています。これにより、東北地方は貧しかったというイメージを持っている人は少なくありません。
↑ これですね。1934年、岩手県遠野で撮影されたこの写真のインパクトは相当にでかいです。ただ、これは今でいう“ヤラセ写真”なのではないか、と主張している人もいます。
しかし、冷害に見舞われて凶作になることは確かにありましたが、それさえなければ食料に困ることはなかったというのが、真相のようです。
「うしろの正面だあれ」は東京、「火垂るの墓」は兵庫県の神戸や西宮などの都市での生活を描いています。最近ヒットした「この世界の片隅に」は造船工場があった呉が舞台です。
言うまでもなく、農村と都市では生活様式がまったく違います。今だってかなり違うんですから、戦前なら今以上に違うでしょう。いくら戦時下とはいえ、日本の首都である東京や造船工場があった呉の生活と、農村の羽後町の生活が同じになるわけがありません。
にもかかわらず、我々の戦時中のイメージは、都市で生活していた人々が語った話をもとに形成されているのではないでしょうか。
▼戦時下のイメージはマスコミが形成した
「暮しの手帖」編集長の花森安治が作った「戦争中の暮しの記録」には、戦時中でも普通の暮らしをしていたというエピソードは出てきません。
僕はライターであり、編集もやっています。職業的な視点で考えると、僕がもし花森の部下だったら、普通の暮らしのエピソードは真っ先に弾くと思います。理由は単純で、載せても面白くないためです。
したがって、「戦争中の暮しの記録」は戦時下でいかに大変で苦しかったかというエピソードばかりを集めて、編集されていると思われます。こうした書籍の発刊が、我々戦後世代の“戦時中のイメージ作り”に影響したのは、間違いありません。
もちろん、農村も大変だった地域はたくさんあることでしょう。一方で、大して変わらない暮らしをしていた地域もあるわけです。
左翼も、右翼も、自分たちに都合のいいように歴史を作りたがります。しかし、偏った意見ばかりを集約しては、歴史の全体像は見えてこないのです。様々な声を満遍なく拾ってこそ、後世に伝えるべき貴重な記録になると思いますが、花森も商売人ですから、売れる本にするために偏った誌面にしてしまったのでしょう。
▼じいちゃんから教訓を得る
さて、じいちゃんの証言から学ぶべきことは意外にあります。それは、最初にも書きましたが、“万が一の事態が起こっても、食べ物を自分で生産できれば無敵”だということです。結局のところ、人間は食べ物がないと生きていけないのです。
戦争が起こると物価が上昇します。敗戦国になるともっと最悪で、第一次大戦後のドイツや、第二次大戦後の日本は著しいインフレーションに見舞われ、経済がめちゃくちゃになってしまいました。現金や国債で資産をもっていた人は大損害を被ったのです。
ところが、じいちゃんは食料を十分に持っていたので、困難を乗り切ることができたのです。
2011年の東日本大震災の発生直後は、農村に野菜や食料の供給を頼っていた都市は品不足に陥りました。戦時中は、今のように家庭で食料を長期保存する技術は普及していませんでしたから、都市部の食料不足は深刻だったと考えられます。
経済の仕組みが揺らぐ中、ひょっとすると、近い将来は昔のように食料を持っている農村が強い時代になるのかもしれません。
歴史はただ年号を暗記しても、何の役にも立ちません。先人の成功、失敗、両面を学んで、未来を生き抜くヒントを得ることが大事だと思います。