かがり美少女の中の人ブログ

かがり美少女イラストコンテスト主催者の山内が、好き勝手なことをつぶやいています。たまに嫌な感じのことを書きますが、ゆるしてニャン☆

ある老舗時計店が、国産の高級腕時計を扱わない理由

A時計店が、国産腕時計ブランドBの正規店になろうと真剣に考えた。

けれども、検討を重ねた結果、「やはり扱えない」ということで、取扱いは断念した。製品の品質もそうだが、Bが歩んできた歴史に対して疑念を持ったためだという。

Bは、世界の腕時計業界をリードしてきた。世界初の新しい技術を開発してきた。その製品は世の中の人々を虜にした。日本のモノづくりを象徴する一社、と言っていいかもしれない。

1970年代、Bは腕時計の常識を覆す新技術で世界を席巻した。同社はそれまで、機械式腕時計の技術で世界の頂点に立っていた。しかし、革新的な新技術の開発で世界を驚かせると、程なくして高級機械式腕時計の製造を休止。新技術の普及に舵をとる。

一度は頂点を極めた機械式の技術を、過去のものとして、事実上、葬った。

新技術は、当初は金無垢の腕時計に搭載され、発売された。はじめは高価だったが、量産化に伴い、どんどん価格は下がっていく。次第にサラリーマンや学生が買える価格帯になった。

安くていいものを大量生産で提供することで豊かさを共有する。これこそが高度成長期以降の日本メーカーの理想であり、信念だった。Bはそういった日本メーカーを象徴する存在だったといえるだろう。

70年代、スイスのメーカーが軒並み廃業した。職人も6分の1ほどに激減したという。時計メーカーCは経営が立ち行かなくなり、アメリカの企業が買収。同社が誇る機械式クロノグラフの製造中止を命令されるなど、混迷を極めた。

しかし、80年代に入ると思わぬ形でスイスの逆襲が始まった。伝統的な職人技を生かす、機械式腕時計に注目が集まり始めた。快進撃を続けてきたBの歯車が、次第に狂い始めた。

それはそうだろう。新しい技術は、次々に新モデルを出し、技術革新をしていかなければならない。昨今のスマートウォッチがそうであるように、最新の技術は少し時間が経てば陳腐化する。消費者の飽きるスピードは予想以上に早かった。

そして、中国の台頭である。思えば、Bの社屋がある諏訪は、戦前まで世界屈指の生糸の産地だった。日本の生糸は頂点を極めたが、やがて中国の安い生糸によって駆逐された。

第二次大戦中、疎開工場としてBが立ちあがったのも、生糸から時計へ産業を転換し、街を再生させようという地元の時計店の熱意によるものだったはずだ。しかし、過去に学ばないのは、日本のお家芸かもしれない。かくして、同じ過ちは繰り返された。

同社は窮地に立たされた。

方針転換を余儀なくされた。

88年、一度は消滅した同社の最高級ブランドを復活。

98年、同社は最高級ブランドで機械式腕時計を復活させた。

「伝統技術の継承と謳ってはいるものの、新技術の敗北ともとれる」と、A時計店。

さて、高級機械式が途絶えている間、Bは別ブランドで独創的な製品を作ってきたが、修理はすでに行っていないものも多い。スイスにはパテックフィリップのように、永久修理を謳うメーカーがいくつかある。日本メーカーはメンテナンスに関しては決して十分な体制を敷いているとはいえない。

日本を代表する家電メーカーのDが、動物型のロボットを再び発売したのは、記憶に新しい。このロボットも、メーカーの都合で修理受付の終了を宣言したことがあった。

「実際の動物は必ずお別れの時が来るから、“死なない”ロボットを迎えた。それなのに、ロボットに“死”が訪れるなんて。ずっと一緒にいれると思ったのに・・・」というユーザーが続出したが、無情にも修理受付は終了。一度終了したものをまた復活させるという。以前のユーザーの心境はどんなものだろう。

腕時計は毎日、持ち主と一緒だ。ゆえに特別な思いが籠るものだと、A時計店は言う。

高級腕時計を買う人は、一生に一本、記念に買うケースが珍しくない。だから、メーカーの都合で“修理ができない”と言われては困る。思い出はお金に替えられないものなのです。僕は国産が嫌いではないけれど、思い付きで一過性の商品を出し続けてきたメーカーの姿勢に賛同できません

腕時計は売って終わりじゃない。むしろ、売ってからがお客様との本当の付き合いの始まりです。ですから、自信をもってすすめられない商品を扱うことだけは、したくないのです

A時計店は、店主自身が腕時計の修理技術者だ。高校生の頃には時計店を営んでいた親の修理を手伝ってきた。店主の人生は時計とともにあると言っていい。さらに収集家でもあり、数えきれないほどの本数を所有する。

長年にわたりBも取り扱ってきたから、同社の歩みは誰よりもよく知っている。そんな店主が、Bを「思い付きで商品を作っている」と批判する。

機械式腕時計の復活だって、スイスのメーカーが盛り上がってきたからでしょう。結局は、流行にのせられているだけなのです」

スイスのブランドは、Bが辞めている間も、地道に機械式腕時計を作ってきた。確かに、Bは研磨の技術などは優れています。けれども、技術は模倣できても、歴史と職人の厚みが違います

私がそうであるように、A時計店も決してBが嫌いなわけではない。というより、Bが好きなのだ。Bの復活こそが日本のモノづくりの再生に繋がると信じて疑わない。エールを送っている立場にある。

それでも、昨今のBの世界戦略は迷走を極めている。2017年、世界進出を本格化すべく、文字盤のデザインを変更した。“ブランド化”を図るために田舎の中小の時計店で取り扱えなくする一方で、家電量販店での安売り販売は継続している。ショーケースに時計が押し込められ、「20%引き」「ポイント還元!」の値札とともに並ぶ。

これがブランド化として適正なのか。矛盾を感じずにはいられない。A時計店はこう話す。

「“モノはいいけれど、ブランド化が下手”というのが日本製品の代名詞。ずっと昔からそう言われてきたのに、まったく改善しようとしなかった。そのツケが回ってきているのです。日本はそろそろ真のブランドを作って、安売り競争から抜け出さないといけないですね」

 

※ある時計店の店主のお話をもとに内容を構成しています。