かがり美少女の中の人ブログ

かがり美少女イラストコンテスト主催者の山内が、好き勝手なことをつぶやいています。最低最悪なクソな内容多し。今流行っている「自己責任」で読んでね( ^ω^ )。だから、たまに(いや、かなりの頻度で)嫌な感じのことを書きますが、ゆるしてニャン☆

大阪維新の会、圧勝は当然だ

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▼維新勝ちすぎ、野合負けすぎ

大阪都構想の是非が焦点となり注目されていた大阪のダブル選ですが、おおかたの予想通り、大阪維新の会の圧勝に終わりました。知事に吉村洋文が、市長に松井一郎が当選しました。

今回は数秒で当確が出るほどで、次点の野合の候補に大差をつけての圧勝。組織票で固めた自民・公明推薦、さらには革命政党までもが相乗りした候補がここまでボロ負けするとは、エンタメ要素満載の面白い選挙でした。

大阪自民党は、知事選に辰巳琢郎という既に終わった俳優を擁立して土壇場で断られるなど迷走を続けていました。んで、知事選には小西禎一、市長選には柳本顕という、なんだかよくわからない人を立ててしまいました。そして、2人とも大阪維新の会のバッシングしかできず、将来の大阪のビジョンを何一つ明確かつ具体的に示せない杜撰極まりない連中でした。

野合の連中は、負けるべくして負けた選挙だったと思います。

 

▼古い体質から脱却できない人々

大阪自民党の敗因は5634個くらいあると思いますが、最大の問題は古い自民党の体質をそのまま残している点でしょう。さらに言えば、相乗りした革命政党も国政では志位和夫がいつまで経っても替わらないほど保守的かつマンネリで憲法9条と沖縄の基地問題しかネタが無いどうしようもない状態であり、新しさがまったくない究極の保守ともいえる状況にあります。

これらの加齢臭漂う党はある意味希少な存在であり、特別天然記念物に指定すべき存在かもしれません。もちろん、選挙にはマイナスにしか働かなかったわけですが。時代遅れの連中が政治を行うなんておぞましいですよね。

てゆーか、過去にもそれで橋下徹何回も負けたのに、彼らはまったく反省していません。何年経っても何回やっても同じ失敗を繰り返している人たちなんて、選挙に勝てるわけがありません。

そういう失敗を反省しない連中が政治をやっていたせいで、大阪は借金まみれになったわけです。大阪維新の会の圧勝は当然であり、有権者古臭い体質の奴らが推した候補にNOを突き付けたというべきでしょう。

 

▼潔く民意を認めない奴らはダサい

大阪自民党の推薦候補は負けしましたが、安倍晋三令和おじさん大阪維新の会の考えに近いですし、本音は「あ~ 維新が勝ってよかった!」でしょう。大阪自民党なんかどうでもいいと思っているでしょうから、今回の結果に満足していると思います。安倍晋三と令和おじさんのことが大嫌いな二階俊博石破茂はショックでしょうけど。

とにかくもう、ここまで来たら大阪自民党も、革命政党も、大阪維新の会に協力するしかないと思うんですよね。だって、ここまでボロ負けは無惨としか言いようがないよ。

潔く、自分たちのやり方は民意に否定されました、だから大阪都構想を良くするために議論を深めていきますと宣言しちゃいましょう。いつまでも文句ばっかり言っているのはダサいぞ!!

 

公明党は維新に協力する

確実に協力するのは公明党です。彼らは池田大作大先生がよく口にしていた常勝関西というスローガンを重視しています。つまり、まあ何かよくわからんけど勝てばいいわけです。政策の中身なんかもともとない政党ですから、勝つためには協力するしかありませんよね。

さらに、公明党が恐れているのは、橋下徹の政界復帰です。橋下が過去にマジ切れして公明党を潰しにかかろうとしたことがありました。さらに、かつて“法曹界ヨン様”と呼ばれていたほど、創価学会のおばちゃんたちにも人気があります

橋下の行動力は凄まじいものがあります。いざ本気を出せば、池田大作大先生が謎の状況にある創価学会の総力を動員しても、維新に勝てるはずがありません。

だったら、大人しく維新にすり寄った方がいいと考えるでしょう。公明党の偉い人(ただし池田大作大先生よりは偉くない)が「大阪都構想に協力する」と言えば、創価学会のおばちゃんたちは南無妙法蓮華経を毎日唱え、投票呼びかけの電話を頑張ってくれます。おそらく、今度こそ大阪都構想は実現してしまうのではないでしょうか?

 

野党共闘(野合)はいいかげん止めよう

大阪ダブル選は維新VS反維新で争われ、対立候補がまあそろいもそろってクソみたいな存在でした。

というか、革命政党が相乗りしたことによって、自民・公明推薦候補に入れなかった人は多いと思います。水と油なんですから、そろそろ、野党共闘みたいなバカな理念は止めないといかんと思うんですよ。岩手の小沢なんとかさんのようなゾンビのような議員が躍起になって進めていますけど。

そういえば、小沢なんとかは、一時期、生活の党と山本太郎となかまたちという中二病全開な党名だった気がするけど、自由党になっていたんですね。知らなかったよ。てゆうか、そのくらい、もはやどうでもいい存在なんですね。

とにかく大阪維新の会! がんばれ!! 大阪都構想の中身、よくわかんないけど!!!!

 

大阪維新  角川SSC新書  橋下改革が日本を変える (角川SSC新書)

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秋田県は農業が盛んだと言うけど、なんで秋田大学に農学部がないの?

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秋田県で有名な農作物はコメだけ

秋田県に対して県外の人が抱くイメージは、なまはげ、竿灯、きりたんぽ、あきたこまちなどがあります。そして農業が盛んであるというイメージが共有されているはずです。

ところが、秋田県で盛んな農業は稲作(コメ)だけです。農業が盛んと言うより、コメづくりが盛んと言うのが正確です。コメの農業産出額は新潟、北海道に次いで3位につけています。しかし、農業産出額全体で見れば1,792億円で東北6県で最低であり、うち約56%をコメに依存している状態です。

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↑ 都道府県別の農業産出額。 ※平成29年 農業産出額及び生産農業所得(都道府県別)より。農林水産省/平成30年12月25日公表

 

都道府県別農業産出額の実額では、全国20位。47都道府県のうち真ん中からちょっと上くらいであり、農業が盛んとも盛んでないとも言いにくい、微妙な順位です。秋田県は農地面積が広いわりに大して金を稼げていないわけで、実に効率の悪い農業をやっているなあと思います。

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↑ それぞれの都道府県の農業産出額の上位である農作物。 ※平成29年 農業産出額及び生産農業所得(都道府県別)より。農林水産省/平成30年12月25日公表

 

秋田県の代表的な農作物はコメなのですが、2位以下を知っていますか? 僕は今、知りました。豚、鶏卵、肉用牛、りんごと続きます。上の表を見ると、1位のコメと2位の豚の産出額に凄まじい開きがあり、いかに一芸頼みの農業をやっていることがわかります。コメの価格が暴落すると壊滅的なダメージを受けてしまう、問題ありまくりの構造になっているのです。

県民は、秋田のコメは日本一美味いと思っている人が意外といます。ところが、最近は米の品種改良競争が激しさを増しています。これまでコメどころという認知度が低かった九州や四国、さらには20年ほど前まではまずいコメの産地と揶揄されていた北海道がおいしいコメの産地になっています。

秋田県の農業は、いつダメになってもおかしくない状況なのです。

 

▼農業を本当に重視してきたのか?

それにしても、秋田県の農業政策がここまで遅れているのはなぜなのでしょうか。そもそも秋田県は農業に関するノウハウが、他県と比べると低いのだと思います。

もちろん農業は行われていました。前にこのブログに書きましたが、僕のじいちゃんは戦時中でもコメをたらふく食えるほど、食いものがあったのです。アニメ映画「火垂るの墓」を見て「こんな貧乏くさい生活は俺はしていない!」と言い切れるほど、食べ物には困っていなかったようです。

 

しかし、あくまでも自給自足のためのものであり、他県のように農業を外貨獲得のための産業として意識していなかったのです。

その証拠がわかるのが県内の大学です。県内の最高学府、秋田大学には未だに農学部がありません秋田県金足農業高校や大曲農業高校など、戦前に設立されていた農業高校はありますが、長らく、大学で農学を学ぶなら県外(岩手大学山形大学など)に行かねばなりませんでした。

昭和24年(1949)の秋田大学の設立から実に50年後、平成11年(1999)に秋田県立大学が開学して、ようやく県内で学べる環境ができたほど、農業に手を付けるのが遅かったのです。

 

▼鉱山が秋田県の富を潤していた

僕は、秋田県農業ではなく鉱業がメインの県だったため、歴史的に農業をそれほど重視してこなかったと思っています。秋田県に富をもたらしていたのは小坂鉱山花岡鉱山尾去沢鉱山阿仁鉱山院内銀山などから採掘される鉱物であり、八橋油田から採れる国内最多の産油量を誇った石油でした。

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↑ 小坂鉱山事務所は明治38年(1905)の竣工。当時、東京でもこれほど大規模なオフィスビルは珍しかった。小坂は鉱山によって、多くの労働者が集い、巨万の富が生まれた近代都市だった。 撮影/山内貴範

 

要は、秋田県地下資源が豊富であったため、外貨獲得のために農業を活性化させたりブランド化する必要はなかったといえるのです。

秋田大学には鉱山学部という学部がありました。現在は工学資源学部と改められていますが、付属の鉱業博物館は現在でも日本最高峰の鉱物の資料館です。秋田大学の設立母体の一つ、秋田鉱山専門学校明治43年(1910)の開学であり、いかに秋田県が鉱山を重視していたのかがわかると思います。

秋田大学が設立されたのは昭和24年(1949)です。この時代はまだ国内の鉱山の調子が良かった時代です。県内の鉱山周辺の集落は超近代都市であり、豊かな生活が謳歌されていました。県の発展のためには鉱山こそが第一であり、農業は別に二の次でも問題ないと考えられていたようです。

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↑ 小坂は金が余りまくっている状態だったため、住民や労働者のためにこんな豪華な芝居小屋までできた。「康楽館」は厚生施設として明治43年(1910)に竣工した、明治時代を代表する芝居小屋の一つ。 撮影/山内貴範

 

▼農業県・秋田のイメージはいつできた?

では、秋田県が農業の県というイメージはいつできたのでしょうか。ここからは僕の推測なのですが、高度成長期に国策として行われた八郎潟干拓事業が大きく影響しているのではないかと思います。

コメを筆頭に食糧不足を解消するために、八郎潟という全国2位の広さの湖を干拓して大潟村が生まれました。入植者は昭和40年代に県外から募りました。そのために、秋田県=農業のイメージが絶対に必要だったのです。干拓事業は当時の国家プロジェクトであり、メディアで大々的に報道されています。県を、国を挙げたPRは、秋田県のイメージを国民に刷り込むには十分な効果がありました。

昭和32年(1957)にはじまった干拓事業は、昭和52年(1977)に完成しました。ちなみに、終わったころは減反政策が行われるほどコメが余りまくっていたわけですが、とにかくモデル農村としての大潟村が開村したのです。一方で、昭和40年代には県内の鉱業の衰退がはじまり、県は新しい産業の道を探らねばならなくなっていました。

八郎潟干拓と、鉱業の衰退が同時期に起こったことが、秋田県のイメージが鉱業から農業に転換する、大きな分かれ道だったと思います。

そして、昭和59年(1984)に秋田県の奨励品種となったコメあきたこまちが有名になり、平成9年(1997)に開業したJR東日本秋田新幹線「こまち」の列車名にも採用されました。こうして、農業県のイメージが形成され、浸透していったのです。

いずれせによ、こうした経緯があるので、秋田県の農業政策は歴史が浅く、素人なのです。それが尾を引きずって現在に至っています。県内のJA、農業票に依存している議員、そして農業生産に対して寄与していない兼業農家は、TPP反対とかセコいことを言っていないで、農業の仕組みを抜本的に改めないと、秋田県の衰退は加速度的に進んでいくと思います。

 

町おこしin羽後町―美少女イラストを使ってやってみた

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ある時計店が、国産腕時計メーカーの製品を扱わない理由

 

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▼日本のモノづくりをリードしてきた腕時計

A時計店が、国産ブランドBの正規店になろうと真剣に考えた。

けれども「やはり扱えない」ということで、取扱いは断念した。店主は言う。

「製品の品質がそもそもスイスに劣っています。研磨の質を上げたり、精度を高めればいい時計ができると思っているのかもしれませんが、それは間違いです。僕はBの時計作りをずっと見てきましたが、その売り出し方にも疑問を持っているんです」

Bは、世界の時計業界をリードしてきた。“世界初”の新しい技術を開発してきた。その製品は世の中の人々を驚かせた。日本のモノづくりを象徴する一社、と言っていいかもしれない。

1970年代、Bは時計の常識を覆す新技術によって世界を席巻した。同社は60年代末、すでに機械式腕時計の精度で世界の頂点に立っていた。しかし、革新的な新技術の開発とともに、高級機械式腕時計の製造を休止。新技術の普及に舵をとる。一度は頂点を極めた機械式の技術を、過去のものとして、事実上、葬ったのだ。

 

▼技術革新で世界を席巻

新技術は、当初は金無垢の高級な腕時計に搭載された。はじめは高価だったが、量産化に伴い、どんどん価格は下がっていく。次第にサラリーマンや学生が買える価格帯になった。

「安くていいものを大量生産で提供する、これこそが70年代の日本メーカーの理想でしたからね」

ある意味、Bはそうした日本メーカーを象徴する存在だったといえるだろう。

日本メーカーの腕時計は世界を席巻した。そして、新技術の開発競争が起こった。スイスではそのスピードに追い付くことができず、廃業するメーカーが続出し、時計職人も6分の1ほどに激減したという。

スイスの時計メーカーCは経営が立ち行かなくなり、アメリカの企業によって買収された。同社は、Bが革新的技術を発明した同じ年に、機械式のクロノグラフを世に送り出していた。それはCの技術の粋を集めた自慢の機械だった。しかし、アメリカの企業によって製造中止を命令されてしまう。新技術の前に、歴史あるブランドも狼狽していたのだ。

 

▼技術の陳腐化と中国の台頭

順風満帆に見えた日本の腕時計産業だったが、80年代に入ると思わぬ形でスイスの逆襲が始まった。伝統的な職人技を生かす、機械式腕時計の職人技に注目が集まり始めた。快進撃を続けてきたBの歯車が、次第に狂い始めた。

それはそうだろう。新しい技術は、次々に新モデルを出し、技術革新をしていかなければならない。最近のデジタル家電、スマートウォッチなどもそうだ。最新の技術なんて少し時間が経てば陳腐化する。消費者の飽きるスピードは予想以上に早かった。

そして、中国が台頭してきた。思えば、Bの社屋がある諏訪は、戦前まで世界屈指の生糸の産地だった。それが中国の安い生糸によって駆逐された。Bが立ちあがったのも、生糸から時計へ転換し、街を再生させようという地元の時計店の熱意によるものだった。

しかし、同じ悲劇は繰り返された。

同社は窮地に立たされた。

 

▼何度も方針転換を繰り返す

方針転換を余儀なくされた。

88年、一度は消滅した同社の最高級ブランドを復活。

98年、同社はそのブランドで機械式腕時計を復活させた。

2017年、世界進出を本格化すべく、文字盤のデザインを変更した。

その間、Bは別ブランドで独創的な製品を作ってきたが、修理はすでに行っていないものも多い。

そういえば、日本を代表する家電メーカーのDが、一度は修理受付を終了した動物型のロボットを再び発売したが、過去の製品の修理は行っていない。このロボットも修理受付対応を終了したとき、ユーザーから批判があった。

時計も同様だと、店主は言う。

「高級腕時計を買う人は、一生に一本買うケースが珍しくありません。ところが、国産は部品保有年数もあいまいだし、次々に新しいモデルを出すから修理対応の期間が短くなりがちです。メーカーの都合で“修理ができない”と言われては、お客様が困りますよね。思い出はお金に替えられないものなのです」

「僕は国産が嫌いではないけれど、自信をもってすすめられない商品を扱うことだけは、したくありません」

 

▼日本とスイスの違いとは

A時計店は、店主自身が腕時計の修理技術者だ。さらに収集家でもあり、数えきれない本数を所有する。長年にわたりBも取り扱ってきたから、同社の歩みは誰よりもよく知っている。そんなA時計店が、Bを「思い付きで商品を作っている」と批判する。

機械式腕時計を復活させたのだって、スイスのメーカーが盛り上がってきたからでしょう。最近の世界進出やブランド化も、結局は、流行にのせられているだけとしか思えません」

「スイスのブランドは、Bが辞めている間も、地道に機械式腕時計を作ってきた。確かに、Bは研磨の技術などは優れています。ひょっとすると、良い腕時計を短い間で形にできるかもしれない。けれども、歴史と職人の厚みが違いますから、スイスに勝てるとはずがないのです」

私がそうであるように、A時計店も決してBが嫌いなわけではない。というより、Bが好きなのだ。Bの復活こそが日本のモノづくりの再生に繋がると信じて疑わない。エールを送っている立場にある。

それでも、昨今のBの世界戦略は迷走を極めていると、店主は言う。

「“モノはいいけれど、ブランド化が下手”というのが日本製品の代名詞。ずっと昔からそう言われてきたのに、まったく改善しようとしなかった。そのツケが回ってきているのです。日本はそろそろ、真のブランドを作って、安売り競争から抜け出さないといけないですね」

ひさかたさんの絵は素晴らしすぎる

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↑ こないだ金沢の同人誌即売会で買ってきた、ひさかたさんの絵

 

▼ひさかたさんの絵は究極の癒し

僕がもっとも好きなイラストレーターを一人挙げるとすれば、文句なしで、ひさかたさんです。どのくらい好きなのかというと、相当です。確かに好きな作家はたくさんいるけれど、思い入れの深さは桁違いだと思います。

ひさかたさんの絵と出合わなければ、アニメや漫画の世界にここまで興味を持つこともありませんでした。秋田県羽後町のイベント「かがり美少女イラストコンテスト」も開催されていなかっただろうし、「美少女イラスト入りあきたこまち」のアイディアも生まれなかったといえます。

僕の嫁は漫画家をやっているけれど、おそらく、僕が絵に興味がなかったらこうした職業の人と出会うのは1245702%無理だったでしょう。絵を描く人をリスペクトする気持ちを持たせてくれた、極めて大きな存在といえます。

ひさかたさんの原画といった作品は、既に10点以上持っています。遠方の展示会やイベントに足を延ばしてでも買ってしまいます。

仕事にもかなり効果抜群です。仕事後、家に帰ってきて、疲れた精神面を癒してくれる“薬草”のような存在が、ひさかたさんの絵だと思います。HP、MPの回復効果はかなりのもので、僕の日々の暮らしの中に欠かせない存在になっているのです。

 

▼2019年、令和元年は記念すべき年だった

2019年は元号が“平成”から“令和”に変わる年だけれど、手元にあるひさかたさんのイラストの切り抜きを見たら1999年と書いてあります。なんと、ファン歴20周年の記念すべき年でもあったのです。

1999年当時、僕は中学生でした。僕の学校は部活に強制的に入らなければいけなかったのですが、田舎なので選択肢がありません。スポーツ系は体力が無いからめんどくさかったし、吹奏楽も大変そうだ、結局、美術部に落ち着いたのですが、ほぼ幽霊部員でした(笑)。

んで、美術部の部活にたまたま顔を出したとき、誰かが持ってきていた「アニメージュ」の投稿欄で、ひさかたさんが描いた「To Heart」のあかりとマルチの絵を目にして釘付けになったのです。その衝撃は今でも忘れることができませんし、年齢の若さを見て、二度、衝撃を受けました。

ひさかたさんは当時、高校生で、プロではありません。しかし、僕の目には他のページのプロのアニメーターが描いた絵よりも、何十倍も魅力的に思えました。

どうやったらこんな凄い絵が描けるんだろうと思い、僕自身も真似して絵を描くようになったのです。

 

▼投稿を見るためだけに雑誌を買った

現在は、アマチュアでイラストを描く人の創作発表の場といえば、ツイッターやpixivでしょう。2000年前後はというと、アニメやゲームの雑誌の投稿欄が発表の場でした。全国から集まったハイレベルな作品が掲載され、ここからプロになった人も少なくありません。

ひさかたさんは「アニメージュ」のほか、「ファンロード」「Find Out」「電撃G’sマガジン」など、たくさんの雑誌に投稿していて、毎号作品が大きく掲載されていた“スター投稿者”でした。僕はひさかたさんの絵を目当てに、雑誌を買っていました。毎号買っていると、回を重ねるごとに上手くなっているのがわかります。この人はいったい何者なんだと思ったほどです。

ひさかたさんの絵はページをめくって一発でわかるほど、存在感がありました。その魅力は圧倒的な目力にあると思います。そして、絵の具を使った塗りの美しさ(どんな凄い絵の具を使っているのかと思っていたら、小学生も使う一般的な水彩絵の具だとご本人から聞いて感嘆しました)。そして、オリジナルキャラクターの服装のデザインに、センスを感じました

ちなみに、アニメイトの関連会社のコアデが出していた「Find Out」は読者が表紙の絵を制作するという雑誌で、毎号、作品を募っていました。ひさかたさんも当然採用されるだろうなと思っていたら、見事に採用されて、自分のことのように嬉しかった思い出があります。あと、アニメイトのテレカにも2回、採用されています。

また、ひさかたさんに意を決してファンレターを出したことがあるのですが、返事に「To Heart」のマルチのイラストを描いてくれて、そのかわいさと、僕のような人にも丁寧に対応してくれる優しさに心を打たれたのも思い出です。

 

▼自分には無い世界を見せてくれる

僕がひさかたさんの絵を好きだと言うと、聞いた人は一様にびっくりします。彼ら曰く、「山内さんは性格が最悪でクソでゲスなのに、こんなにかわいくてメルヘンで繊細な絵が好きだなんて、信じられない!」ということらしいです。

確かに、僕の性格とは正反対の絵柄です。でも、だからこそ、引き込まれるのかもしれません。自分には1ミクロンも無いあたたかさとか、優しさとか、そういった感情が絵の中から伝わってくるためです。

また、童話やファンタジーなどの世界は、ひさかたさんの絵と出合わなければまず知ることがなかったでしょう。絵の表現力や技術力が高いのは当然だけれど、自分が知らなかった世界を見せてくれる点も大きな魅力だと思います。

さて、ひさかたさんは絵の制作を休止していた期間もありましたが、数年前にツイッターを開始され、作品をUPしています。絵の展示会にも出品しておられます。20年にわたって、新作が見れることを嬉しく思っています。

 

↓ ひさかたさんのツイッター 

安藤忠雄と隈研吾の評価が逆転したのはいつか?

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↑ 隈研吾の設計で完成予定の「新国立競技場」 ※独立行政法人日本スポーツ振興センターホームページ https://www.jpnsport.go.jp/newstadium/ より引用

 

▼建築家の代名詞になった隈研吾

最近、とにかく隈研吾の設計した建築の話題を聞かない日がありません。東京オリンピックの舞台の「新国立競技場」はもちろん、来年に暫定開業する「高輪ゲートウェイ」も隈研吾だといいます。「日本橋三越本店」の改修もそうだし、渋谷駅周辺の再開発にもかかわっています。東京の新名所はことごとく隈が話題をさらっています。

KADOKAWAが手掛ける「ところざわサクラタウン」や、モンベルの辰野勇がキレて話題になっている奈良公園のホテル隈研吾。「千葉市庁舎」や「富岡市庁舎」もそうだし、取材で沖縄の石垣島に行ったら「石垣市庁舎」も隈だという。いやはや。どんだけ仕事しているの!

隈研吾時代の寵児になった感じがあります。隈のイメージと言えば「負ける建築」だったけれど、建築家としては勝った。大勝利だ。なるほど、廉価な素材を用い、特に木や石を使った空間は今の時代に凄く合っています。自治体や企業から設計依頼が殺到する理由もわかる気がします。

さて、それまで建築家といえばコンクリート打ち放しの建築で知られる安藤忠雄でしたが、最近はメディアに出なくなったし、名前も聞かなくなりました。「表参道ヒルズ」のような、話題になる大きなプロジェクトもなくなりました。なぜなのでしょうか。

 

▼あの騒動で評価を失墜させた安藤忠雄

隈と安藤の明暗を分けたのは「新国立競技場」のコンペです。

安藤の株を下げた最大の原因は、一言で言えば審査委員長を務めた「新国立競技場」のコンペの、記者会見での対応。あれが良くありませんでした。

安藤はデザインを選ぶ側であり、設計者ではありません。設計者はザハ・ハディドという外国人であり、一般的には安藤の方が知名度が上でした。よって、その後のデザインと建築費高騰を巡る混乱では、いつしか安藤が批判の矢面に立たされてしまうことになったのです。

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↑ ザハ・ハディドの「新国立競技場」案 ※独立行政法人日本スポーツ振興センターホームページ https://www.jpnsport.go.jp/newstadium/Portals/0/NNSJ/first.html より引用

 

僕は、新国立競技場はどんなに金をかけてでも構わないから、当初のザハの案で施工されてほしかったと今でも思っています。よって当時から安藤派です。記者会見では安藤がしっかりと説明してくれると思い、見守っていました。ところが、会見を見終わって愕然としました。

安藤は説明をしっかりやらずに逃げてばかりでした。糞ダサいジジイにしか見えませんでした。致命的に良くなかったと思います。あの記者会見が響き、株価がストップ安になった感じで、30,000円だった株価が1,000円になったくらいに評価が失墜したと思います。

 

▼安藤は説明責任を果たしてほしかった

正直、この国立競技場の問題は責任の所在があいまいです。建築費高騰は、安藤だけの問題ではありません。さらに言えば森喜朗のせいでもありません。わかりやすい敵をつくり、一人に責任を擦り付けるのはイジメであり、酷というものです。

それでも、安藤はメディアの前に出た以上、説明責任を果たすべきだったと思います。というのも、安藤はメディアで有名になった建築家だからです。NHKのテレビ番組などで建築の“夢”を語る姿がたびたび放映され、それによって安藤のイメージを快く思っていた人も多いはずです。

そういう人があの映像を見たら、「あれ、安藤さんどうしちゃったの?」と思ってしまうでしょう。

新国立競技場はキールアーチという2本のアーチの施工が難しく、それが建築費高騰を招いたと批判されました。しかし、施工が難しい建築を敢えて選んだのは、安藤の強い想いがあってのことでしょう。

もし実現していれば安藤の最高傑作になったであろう建築は「京都駅」でしたが、施工が難しいということで審査の過程で却下され、現在の原広司の案で完成しました。原のデザインも相当にレベルが高いけれど、安藤案の良さはずば抜けていました。

 

▼メディアで有名になった安藤はメディアで作家生命を絶たれた

そうした「連戦連敗」の経験をしてきた安藤だからこそ選べたザハ案だったのに、そうした“想い”や“夢”が語られることはついにありませんでした。

のらりくらりと説明から逃げている、最悪な記者会見になってしまいました。佐村河内守や野々村竜太郎と比べたらマシではあったけれど・・・

ちなみに、僕はその騒動の後に安藤を取材しようという企画があり、編集者が交渉をしたのですが、「新国立競技場の件はノーコメントで」ということで実現しませんでした。守秘義務など、いろいろな事情はあるのでしょう。でも、取材にほとんどコメントをしないようでは、逃げ回っている印象を受けてしまいます。

そして、あれだけ安藤を持ち上げまくったメディアが、まったく彼の見方をしてくれなかったのも印象的でした。かくして、メディアによって有名になった建築家はメディアによって葬り去られました

コンペで決まった案をひっくり返すという日本の建築史において大きな汚点になった出来事であったとともに、メディアの手の平返しのわかりやすい例を見せてくれた出来事だったといえるでしょう。

 

連戦連敗

連戦連敗

 

 

「ケムリクサ」のたつき監督、「けものフレンズ2」の木村隆一監督、お疲れさまでした

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たつき監督は凄すぎる

たつき監督の「ケムリクサ」の放送が終了しました。ツイッターの評価を見ると、非常に好評だったようで、たつき監督はけものフレンズ」で獲得したファンの期待に応えた形になったと思います。

ケムリクサ 1巻[上巻] [Blu-ray]

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素直にこれは、凄いとしか言いようがありません。たつき監督の情熱と、アニメに対する真摯な姿勢が優れた作品を生み、それがファンに受け入れられたわけです。脱帽です。

たつき監督は非常に作家性が強く、個性的な作風ですから、果たして受けるのかなという不安はあったのですが、まったくの杞憂でした。

これは日本のアニメの歴史にとって、大きな事件として語り継がれることになるでしょう。優れたクリエイターをファンが支える仕組みが、これを機にどんどん広がっていけば、もっと日本のアニメ文化は発展できると思います。たつき監督の奮闘は、クリエイターの世界に一つの希望をもたらしてくれる出来事でした。

 

▼2017年「けものフレンズ」騒動

たつき監督といえば、2017年にもっともヒットしたアニメ「けものフレンズ」を監督し、一躍、時の人となりました。ところが、続編が期待されていた矢先、唐突に大人の事情により降板させられました。

その詳細についてはまとめサイトがたくさんあるので、ここでは具体的に書きません。詳細は以下のサイトをごらんください。

 

けものフレンズは2015年にプロジェクトが立ち上がり、スマホゲームや漫画などメディアミックスが行われていましたが、ずっとオワコンだった企画でした。2017年にアニメの放送がはじまったときも、はじめはほとんど注目されていませんでした。

ところが、たつき監督の天才的かつ類稀な感性によって、一気に注目されるコンテンツになったわけです。株式市場に例えれば、株価40円くらいだったボロ株が一気に1,000円以上に急騰した感じで、空前のヒットになりました。

ゆえに、続編の話が出るのは当然の流れでしたが、たつき監督の下で続編の製作は幻となりました。原因は複雑極まりないようですが、一説によれば、キャラクターデザインなどを手掛けた漫画家の吉崎観音さんが、たつき監督が目立ったことへ嫉妬したことが理由の一つだったといいます。

かくして、迷走が始まります。ツイッター2ちゃんねるではいろんな製作会社の名前が上がりましたが、いつまで経っても具体的な話が出ない。いつしか、続編製作は難しいのでは・・・という声も上がり始めていました。

 

▼逆境の中、監督を引き受けた木村隆一監督

たつき監督に替わって、「けものフレンズ」の監督を引き受けたのが、「アイカツ!」などのアニメを手掛けた木村隆一さんです。正直、アニメ業界関係者であれば、誰もやりたくなかったと思います。メッタクソに叩かれることは予想できたでしょうから。

木村監督は引き受ける時点で、批判は覚悟の上だったはずです。ところが、批判は想像以上だったようで、ツイッターでアンチのコメントをブロックするなど、かなり精神的にも滅入っていたようです。

さらに、木村監督の↓このインタビューにある「監督なんて誰でもいいんですよ」という発言が切り取られ、どんどん歪曲され、監督バッシングにつながっています。

しかしながら、一連の騒動は木村監督だけの責任ではないはず。むやみに叩きまくるのもどうかなあと思うのですが・・・

 

▼木村監督にも優しい言葉を贈ろうぜ

僕は、大人の事情はあったにせよ、たつき監督はもちろん、木村監督にも「お疲れさま」と言いたいと思います。

たびたび問題になるアニメ業界の製作委員会方式など、今すぐに改めないといけない仕組みはたくさんあります。そうした古い仕組みの犠牲となりながらも、自らが理想とするアニメを創り上げ、支持を集めたたつき監督は凄くかっこいいです。

一方で、誰もやりたくない仕事を最後までやり遂げた木村監督も、男らしくて素直にかっこいいと思いました。なかなかできることではありません。

正直、僕はアーティスト的な個性が強いたつき監督の作風の方が好きです。木村監督のけもフレ2は、いたって普通の平和に見れるアニメでした。ひょっとすると、吉崎観音さんがイメージしていたけものフレンズの世界観って、こうだったのかもしれませんね。

賛否両論あると思いますが、僕は2人のクリエイターとしての思想の違いがはっきり出ているので、見比べてみるとこれはこれで面白いのではと思います。たつき監督、木村監督、次の作品に期待したいと思います。

 

けものフレンズ2 第1巻 [Blu-ray]
 

 

 

新元号は「令和」だそうです

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・・・・・・・・・・・・「暁美」には、ならなかった(´;ω;`)ウゥゥ

暁美 になると予想した人は、たぶん1235688人くらいはいると信じています。

 

 

 

 ↓ 暁美ほむらちゃんのかわいいフィギュアたくさん載せておきます( ^ω^ ) 

魔法少女まどか☆マギカ ねんどろいど 暁美ほむら (ノンスケール ABS&PVC塗装済み可動フィギュア)

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