頭のネジが手巻きで止まっている かがり美少女の中の人ブログ

<注意事項というか義務! 本文を読む前にこの注意書きを5回以上読むこと!!!!!> かがり美少女イラストコンテスト主催者の山内がストレス発散するためのクソブログです。頭のネジが手巻きで止まっている人が書いていますので、最低最悪なクソのような内容ばかりです。したがって「自己責任」で読んでね( ^ω^ )。このブログを読んで不快になったり、便秘になったり、ウンコが下痢便になったりなどのトラブルが生じても、クレームは一切受け付けません。商品を買ってくれると僕にお金が入るから、買ってね!!

京都はいつから、伝統や景観についてうるさく言うようになったのか

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▼日本一厳しい景観政策

京都は日本屈指の観光都市の一つです。そして、日本屈指の厳しい景観政策で知られています。

マクドナルドやコンビニの看板が“茶色”かったり、“地味な色”になっている、いわゆる京都仕様のデザインは知っている人も多いと思います。

そして、平成19年(2007)に打ち出された新景観政策は、市街地の建築の高さやデザインに厳しい規制を加えました。新景観政策に関するリーフレットを見ると、屋外広告物(看板)はもちろん、建築のデザインから高さに至るまで、あらゆる要素を規制しているのがわかります。

ひとえにこれも、歴史的な景観を守るためなのだそうです。お手本になっているのが京町家です。京都の市街地のマンションを見てみると、瓦屋根風の庇を付けたり、屋根を載せたりと、京都っぽさを出すために必死になっているのがわかります。

 

▼洋風建築が異常に多い京都

ただ、その一方で、僕は京都を訪れて変だなあと思ったのは、洋風建築がとてつもなく多いことでした。例えば三条通には、赤レンガの日本銀行京都支店中京郵便局など、明治時代に建てられた派手な洋風建築がたくさん立っているのです。

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↑ 日本銀行京都支店。明治39年(1906)、重要文化財、現:京都文化博物館別館。赤レンガのド派手な建築。これは景観破壊じゃないの?

 

日本銀行京都支店の設計は明治時代の建築界の大御所で、赤レンガの東京駅で知られる辰野金吾と、教え子の長野宇平治です。赤レンガに白い花崗岩でアクセントをつける手法は辰野が好んだデザインで、当時のイギリスの流行を取り入れた洋風建築であり、京都っぽさが微塵もありません。京都の伝統的な日本建築の文脈からは、明らかに外れている建築です。

こういう建築は景観破壊ではないのか?

重要文化財だからいいのか?

変じゃん!!!!!! と思うわけです。

以前に、京都の景観について取材したときに、某文化人某政治家にそのへんの疑問をやんわりとぶつけたのですが、適当にごまかされた挙句、険悪な雰囲気になったのでやめました。まあ、僕は京都にどんな建築が建とうがどうでもいいですし、ぶっちゃけマギアレコードのアニメ化の続報の方が重要なのですが、腹が立ったので調べてみました。

すると、京都が景観についてうるさく言いだした歴史は戦後になってからであり、かなり歴史が浅いことがわかりました。そして、それまでには景観に対する意識は低く、むしろ京都のイメージにそぐわない洋風建築をバンバン建てまくっていたことがわかったのです。

しばし“古都”として一緒に語られる奈良と比較してみると、まったく異なる都市計画が進められてきたことがわかります。一言でいえば、奈良は伝統を重んじ京都は最新の文化を取り入れることで、発展してきた都市といえるのです。

 

※以下、建築の写真はネットから拾ったもので仮に構成していますが、後日、自分の写真に差し替えますので、無断使用を一旦許してね。 

 

▼奈良は一貫して“和風”を重視してきた

京都と奈良の景観への意識の違いは、日本の建築のデザインが大きく変わった、明治時代の建築を例に挙げると、わかりやすいと思います。

明治時代初頭、国が主導する建築は基本的に洋風で建てられていました。その理念に基づいて、奈良公園に片山東熊の設計で明治27年1894)に帝国奈良博物館はネオ・バロック式の洋風建築として完成しました。ところが、これを見た人々から「奈良公園にこんな洋風建築はそぐわない」と非難が巻き起こったのです。

そのため、これに続く奈良公園周辺の公共建築は、軒並み和風で統一されるようになりました。初代・奈良県庁舎明治28年(1895))を筆頭に、奈良県物産陳列所明治35年(1902))奈良県立図書館明治41年(1908))などはすべて和風の屋根を載せた建築です。

明治42年(1909)に奈良の迎賓館として建てられた奈良ホテルも、和風を基調とした建物です。設計は辰野金吾ですが、彼の作風からは想像できないデザインです。前に紹介した日本銀行京都支店をはじめ、京都にある辰野の建築は軒並み洋風であることを考えると、奈良の人々の強いこだわりが反映されていると思います。

もちろん、奈良監獄など、洋風で建設された建築もあります。しかし、基本的に奈良の人々は平城京があった奈良時代に誇りをもち、和風を重んじていたようです。

興福寺の東金堂五重塔室町時代の再建にもかかわらず古風ですし、龍王寺本堂のように江戸時代の建築なのに明らかに奈良時代を意識したデザインがなされた建築も残っています。京都よりはるかに前から、伝統に対する意識が強かったと言っていいでしょう。

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↑ 初代・奈良県庁舎。のちに日本銀行京都支店を辰野とともに設計する長野宇平治が単独で設計したもの。

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↑ 奈良県立図書館。

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↑ 奈良ホテル辰野金吾の作品では数少ない和風の建築。

 

▼京都の公官庁は“洋風”を重視した

一方で、京都は奈良と異なり、洋風建築にこだわってきました。

考えれば当たり前です。京都は平城京遷都以来、明治時代まで1000年以上も日本の都であり続けました。流行の最先端であるという気概が京都人にはあったため、洋風建築を建てるのは自然な流れでした。

景観論争になった帝国奈良博物館とほぼ同時期の明治28年1895)、京都に片山東熊の設計で帝国京都博物館が完成しています。東山を借景にし、道路を挟んで三十三間堂が立つような場所に建てられたルネサンス式の主張の強い洋風建築でしたが、奈良のような大論争は巻き起こりませんでした。

当初計画されていた3階建てから、途中で平屋に変更されましたが、これは景観を意識して高さを抑えたのではありません。数年前に起こった濃尾地震でレンガ建築が地震に弱いとわかり、耐震性を考慮した結果、平屋になったのです。

このように、明治時代の京都には“洋風”で、“日本の伝統を考慮しない”建築が次々に完成しています。明治21年1888)には南禅寺の境内にレンガの橋を通すという“景観破壊”の“暴挙”をやらかした琵琶湖疎水の水路閣が、明治37年(1904)にはルネサンス式の洋風建築で京都府庁が竣工します。

平成の時代に景観論争が起こった京都駅も初代から洋風でしたし、大正2年(1913)に竣工した2代目もまた洋風です。この時代には和風の駅舎が出現しているのですが、京都の玄関口にふさわしい駅舎として選ばれたのは洋風でした。ちなみに2代目は昭和25年(1950)に焼失し、2年後に再建された3代目はモダニズム建築。まったく京都っぽいデザインではありません。

昭和2年(1927)に完成した京都市庁舎は、細部に和風っぽいモチーフが見られますが、海外の建築の意匠を折衷させたもので、全体的な構成は洋風建築のスタイルです。設計者の武田五一は和風建築にも秀でた建築家であり、「社寺っぽい屋根を載せた建築」をオーダーできたはずなのですが。同じく武田が多くの建築を設計した京都大学にも、和風で造られた建築はほぼありません。

商業建築も和風より洋風が好まれました。鴨川に面して立つ東華菜館(大正15年(1926))はスペイン風のデザインであり、今では絶対に建築許可が下りないであろう建築です。

明治~戦前の京都の中心的な建築で、和風の意匠で作られたのは明治28年1895)の平安神宮くらいだと思います。平安神宮平安遷都1100年のイベントのパビリオンを、後に神社に改めたものです。イベントのコンセプト的にも、これを洋風で造ったらバカでしょう。和風にする以外の選択肢が考えられなかった建築なのです。

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↑ 明治時代の京都を代表する景観破壊、琵琶湖疎水の水路閣。京都屈指の大寺院である南禅寺の境内に赤レンガ造の水路を通す。これを今の京都で計画したら、大炎上でしょう。

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↑ 京都府庁舎。見事なルネサンス式の庁舎。ぜんぜん和風ではありません。

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↑ 京都市庁舎。これは2代目ですが、初代もやっぱり洋風でした。

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↑ 東華菜館。大阪心斎橋の大丸など、商業建築を数多く手掛けたヴォーリズの設計。

 

▼戦後になってから起こった景観論争

こうした経緯を見ると、京都で景観云々の議論は、戦前までにはほとんど起きていなかったと言っていいでしょう。

経済界、仏教界、そして住民と、あらゆる人々を巻き込む大きな論争になったのは、高度成長期に計画された京都タワーが最初です。京都タワーはそもそも、京都中央郵便局の移転に伴う跡地利用として、京都の観光案内や土産販売を兼ねた施設を造る計画が発端です。

当初は、タワーを建てる計画はなかったそうです。ところが、当時はご当地タワーが大ブームになっていたため、観光の目玉にすべくノリで計画されました。おそらく、戦前まで洋風建築が問題なかったわけですから、関係者は特に問題になんかならないっしょ、というお気楽な気持ちだったに違いありません。

ところが、フランス出身でノートルダム女子大学の講師だったオーシュコルヌという人が、京都市長の高山義三に「京都にこんなタワーを建てていいのか!」とケチをつけます。これが導火線となり、大炎上します。京都を愛するインテリジェントな文化人がメディアで煽りまくり、一大景観論争が巻き起こったのでした。

僕の感想は「外国人が余計なこと言うんじゃねえ!!!!!!」です。というか、外国人に文句言われてから運動を始める文化人って、いつの時代も変わらずにいるのですね。実に情けないものです。

で、京都タワーは建ってしまいました。その後、昭和47年(1972)に施工された京都市景観条例は、明らかにこの論争を意識したものでした。こうして、最新のデザインの建築を次々に生み出してきた京都の伝統は、ここに断絶しました。

ちなみに、僕は東海道新幹線に乗って京都に出張に行くと、車窓の京都タワーを見て、ああ、京都に着いたなと感じます。もはやみん慣れたため、今更、文句を言う奴はいないでしょう。

 

▼景観論争のその後

京都タワーの後、京都では景観論争が何度も起こっています。

高さが問題になった平成6年(1994)の都ホテル、そして高さだけでなくデザインにもケチがついた平成9年(1997)の京都駅などがその代表的なものです。

都ホテルが完成したときは、キンキラキンの仏堂が建つ寺の生臭坊主が、寺の入口に“ホテル宿泊者の入山お断り”という看板を立て、拝観を拒否したりもしました。

くっだらねー!!!!!!

いずれも、戦前の京都であれば問題にすらならなかった内容で、景観論争が起こっているのがわかります。ちなみに、京都の伝統なるものを本気で考えるとしたら、その時代に合った最先端の建築を建てることです。それこそが京都が京都であり続けてきたゆえんなのですから。

 

▼ぶれぶれの都市計画の将来が不安だ

まあ、京都はこれからは景観を守ると決めて、厳しい姿勢を貫くと宣言し、ずっとその方針でやっていくのであれば、別にいいと思います。

ところが、昨今の京都の景観政策は、ぶれにぶれています。なんと、今後は京都の人口の減少が見込まれるために、景観条例を見直そうというのです。京都市の地価は高く、若い世代が住むにはハードルが高いため、近隣市町村や大阪に転出する例が多いといいます。高層マンションの建設が認められる可能性もありそうです。なんじゃそりゃ。
う~~~~~~~~~ん。場当たり的だなあ。日本の都市計画のいい加減さがわかります。明確な都市のビジョンがないまま政策を進めているのがわかります。

景観を守ると決めたら、徹底的に守って欲しい。20年、50年と先の京都を見据えて、街づくりをする強い意志がないから、景観云々の議論なんてやめるべきだと思います。何度も言いますが、京都は高度成長期までは、景観に縛られずに自由に発展してきたのですから。

 

京都―古都の近代と景観保存 日本の美術 474

京都―古都の近代と景観保存 日本の美術 474

 

日本共産党は本当に表現の自由を認めるのか?

表現の自由は守られる?

日本共産党の政治家に対していつも思うのが、彼らがもし政権を取った場合、日本共産党を風刺するような表現の自由を認めてくれるのか? ということです。

例えば、彼らは「しんぶん赤旗」のようなメディアで、安倍晋三ヒトラー風に描いた風刺漫画を掲載しています。

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↑ これですね。

 

別にこの絵自体は風刺漫画ですし、問題ではありません。日本には表現の自由があります。政権を担う権力者である自民党の政治家を皮肉たっぷりに描いていて、痛快であるといえるでしょう。

ただし、です。

それなら、彼らが政権を取った場合、逆の仕打ちを受けても問題ないはずですよね。すなわち、志位和夫小池晃といった権力者を、皮肉たっぷりに描写されることに対し、寛容でなければいけないのです。

ところが、彼らは自分たちへの批判に対しては物凄く敏感であり、まったく寛容ではないのです。

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上の画像は、「やや日刊カルト新聞社」の主筆藤倉善郎さんに対する日本共産党の回答です。

自分たちのメディアで自民党の総裁をヒトラー風に描くくせに、自分たちのトップの志位和夫ヒトラー風に描かれることは「社会的に許されない」「蔑視の態度」と見做すのです。

典型的な、他者に厳しく、自分たちに甘い組織です。

 

▼条件付きの自由しか認めない

つまり、日本共産党の連中の言う表現の自由とは、「条件付きの自由」なのです。自分たちへの批判は許さない。自分たちを批判する者への批判は許す。要は、こういうことです。

この表現なら良いけど、あの表現はダメ。こうした仕分けを権力者が行うことを検閲といいます。彼らが憎悪してやまない戦前の日本の軍部が推し進めていたこと、そのものでしょう。

日本共産党に関する研究書では、立花隆氏の「日本共産党の研究」が名著であり、必読です。

日本共産党の研究(一) (講談社文庫)

日本共産党の研究(一) (講談社文庫)

 

この本の執筆中、立花隆氏は人権侵害に等しいレベルの誹謗中傷や攻撃を日本共産党から受けました(本書にその詳細が書かれています)。どうやら、その体質は今も変わっていないようです。

日本共産党が政権をとったら、少なくとも、漫画家、イラストレーターにとっては地獄のような表現規制が巻き起こると想像できるのです。 自民党の中にも表現規制に対してぐじゃぐじゃ言う議員が結構いますが、その比ではない、漫画そのものが規制される時代がやってくると思っています。

 

日本共産党の正体 (新潮新書)

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日本共産党研究――絶対に誤りを認めない政党

日本共産党研究――絶対に誤りを認めない政党

 

 

秋田県に移住するうえで、最大の障壁は●と●!!

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▼人間関係に手こずる人

秋田県に移住するにあたって、問題になることのひとつに人間関係があげられます。

県民性が特殊だ、陰湿だということを理由に挙げる人もいます。秋田県の情報を発信している「じゃんごブログ」さんが以下のように書いています。

読んでみて、う~~~~ん、そうかなあ・・・と思いました。

僕は県民性って関係ないと思います。秋田県に限ったことではなく、はっきり言って、田舎なんてどこも同じようなものです。

僕は47都道府県すべて訪問しています。かなり隅々の田舎も行っていますが、この県、この地域だけが人間性が良いとか悪いとか感じたことは、特にないです。ましてや、秋田県だけが突出して陰湿だとは思いません。

人間関係に手こずるような人は、そもそも田舎に引っ越すのが間違いです。大人しく都会に住むのが賢明な選択です。それでも田舎に住みたいなら、誰もやってこないような秘境の一軒家に住まないとダメなのです。

 

▼この2つをクリアできるか?

僕は、秋田県に住むうえで、人間関係よりもさらに高い障壁になる存在があると思っています。

それは、です。

この2つをクリアできるなら、大いに秋田県に移住すべきです。

特に、大都会の秋田市あたりは、この2つに悩まされにくい環境がたくさんありますので、文句なしでおすすめします。店にも困りません。コメダ珈琲店もあるし、ハイセンス&ラグジュアリー&シャレオツなスターバックスコーヒー秋田駅周辺に2店舗もあります。最近はいきなりステーキもできました。アニメイトもあります。都会にあるものはおおよそ揃います。

ところが、市街地を離れて田んぼや畑の多い地域、特に羽後町などに移住すると、雪と虫の問題は絶対に避けることができません。人間関係は交渉事で何とかなるケースもあります。しかし、この2つは自然が相手であり、交渉してどうにかなる問題ではないため、一筋縄ではいかないのです。

移住して後悔する人たちは、この2つを舐めてかかっている人が多いです。現に、一軒家を買って暮らしたら虫があまりに発生するので、わずか3ヶ月で都会に帰ったという人が某町にいました。自然、おそるべしです。

 

▼危険で、怖い雪

まず、です。めちゃくちゃ降ります。そして、雪投げ(雪捨て)、雪下ろしが必須です。

めんどくせーと思う人は、金の力で近所の人に頼むことはできます。もしくは、地域おこし協力隊のボランティアにやってもらっている人もいます。とはいえ、とにかく毎日尋常ではない量が降るので、ある程度は自分でやらないといけません。

雪を見て「メルヘンね」「ロマンチックね」と言っているリア充どもには秋田県に住んでみろと言いたくなりますが、まあ、ちらほら降る程度の雪であれば、そういった感情を抱く気持ちはわからなくもありません。

ところが、秋田県の雪、特に羽後町のような山間部はもっさもっさと降るので、一晩で雪が数センチ積もるのはごく一般的な光景です。クルマにも一晩で積もったりするので、出勤前に雪を取り除かないといけません。

12月はじめ~3月中旬頃まで、雪とは毎日、格闘する必要があると肝に命じましょう。

 

▼虫とフレンズになれる?

続いて、です。

僕は埼玉県のマンションに住んでいますが、とにかく虫が出ないので、平和を謳歌しています。都会で出合う虫はせいぜいゴキブリ程度でしょう。秋田県は違います。多種多様な虫が家の中に入ってきます。ゴキブリごときでビビっている人には、絶対におすすめできません。

秋田県はゴキブリの発生量は、都市部ほど多くない印象です。しかし、カメムシ(アネコムシ)という、つぶすと臭くて、飛んできて、布団の中に入ってきたりする虫が大量発生します。カメムシ超神ネイガーの敵「ハンカクサイ」のモデルになっているほどで、秋田県を代表する嫌な虫です。

そのほか、ハエ、蚊、アブ、カナブン、クモ、セミ、なぜか窓枠の隅で越冬するテントウムシゲジゲジ、ムカデ、ナメクジ、風の谷のナウシカ」に出てくる王蟲を縮小したような虫など、あらゆる生物が身近に出現します。奴らは「けものフレンズ」のセルリアンのように突如現れるので、タチが悪いです。

羽後町での暮らしは、ジャパリパークに住んでいるようなものです(僕の実家の周辺はタヌキやムササビやコウモリなども出ます)。生き物たちとフレンズになるくらいの覚悟が求められるのです。もしあなたが、ナウシカのように慈悲深く、虫と対話できるなら、大丈夫だと思います。

 いかがですか? 繰り返しますが、雪と虫が問題です。この2つを克服できる、「大丈夫だ、問題ない」と思う人はぜひ秋田県に移住を検討していただけますと幸いです。

 

誰も教えてくれない田舎暮らしの教科書

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田舎暮らしの本 2019年 02 月号 [雑誌]

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バーゼルワールド開催期間中、地方の時計店は冷めきっていた

 

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スイスで世界最大級の時計見本市「バーゼルワールド」が開催真っ只中の2019年3月22日~23日、僕は地方の時計店を巡っていた。

スウォッチグループが今年から撤退したとはいえ、各社、華やかな時計を出店しては、盛り上がっている。そんなバーゼルに対し、かつて有名ブランドの時計を扱っていた店はどう思っているのか、聞きたかったからだ。

こんなひねくれた取材をしているライターなど、日本中探しても、僕だけだろう。

さて、ほんの10~20年前まで、時計店は規模の大小を問わず、主要なブランドをだいたい扱うことができた。

ところが、昨今、メーカーのブランド化戦略などの意向により、次々に地方の時計店が契約を切られてしまっている。一定数の在庫を仕入れ、販売実績のノルマがあり、さらに店もブランドの指定通りに改装しないといけない。

実は、時計に限らず、服、スニーカーなど、アパレルの分野でも同じことが起こっている。

結果、有名ブランドを扱えるのは、大きな資本力のある百貨店か、大規模な時計店だけになりつつある。中堅、小規模の時計店の過半数から、事実上、有名スイスブランドは消滅した。

扱いたくても、扱えない。

そんな嘆き節が、時計店から聞こえてきた。

10万都市にあるA時計店は、ロレックス、オメガ、ジャガールクルト、さらにはカルティエの正規店だった。特にカルティエの取り扱いは珍しく、一時は県内隅々からお客さんが来たという。しかし、カルティエが隣県の200万都市に旗艦店を出した頃に、契約は終了となった。

バーゼルワールド? ああ、今年もそんな時期なんだね。もう何年もチェックしていないなあ。だって、新作が出たって、うちらは扱えないんだから」

「メーカーが指定する専用の什器を入れなきゃいけない。都会とこの街じゃ、市場規模がぜんぜん違う。通販ができるならまだ対抗できたかもしれないけど、メーカーはそれすらもダメだという。むちゃくちゃだよ。地方の時計店がメーカーの意向を呑むのは、不可能に近いですよ」

「スイス本国は売れるようになったら、日本法人を作ると言い出すんだよね。問屋の人たちは首を切られたし、うちらも契約が終了しちゃった」

現在はグランドセイコーの取り扱いは継続しているが、最近はセイコーもショップ制で厳しいという。「なんでもスイスの真似をするもんじゃないと思うけれどね」と、店主は言う。さらに、某ブランドの時計を30%引きで投げ売りしていたのが目についた。

「ああ、それね。まだ決まったわけじゃないけど、運営の母体が変わるという話があるから、取り扱いをやめようと思ってね。在庫一掃しようと思っているのさ。うちらはメーカーの事情にさんざん振り回されてきたけど、もうこりごり。今の時代、時計屋なんて田舎でやるもんじゃない」

県庁所在地にあるB時計店は、ロレックスの販売実績で県内トップになったこともある有力店だ。しかし、数年前、この県からはロレックスの正規店は完全に消滅してしまった。オメガ、ショパールなどを扱っていたこともある。

店員が言う。

バーゼルワールドなんて興味ない。一部の店とメーカーのお祭りにすぎないし。少し前までは新作を楽しみにしていたけれど、今じゃ契約も終わっているし、どうでもいいよ」

「えええっ、スウォッチグループバーゼルに出なくなったの?」

店員は、既に“時計離れ”が加速度的に進んでいると話す。この店に来店するお客さんは、かつてはサラリーマンの姿も多かったそうだ。しかし、今では医師や弁護士など、一部の富裕層に限られるという。

「ちょっと前まではサラリーマンがお小遣いを貯めれば、ロレックスが買えたんだよ。それが今じゃ、ステンレスの時計が100万超えでしょ・・・? 時計は高くなりすぎた。完全に金持ちの道楽だよ」

「それでも買う人がいるから、メーカーは構わないと思ってるんでしょ。ファンの裾野を広げようなんて思っちゃいない。確実に買ってくれる人に売れれば、それでいいと思っているんだろうね」

「もう時計に興味、なくなった」

もちろん、僕は店側の言い分をすべて正しいとは思わない。取り扱い停止を宣告されたのは、店側の努力不足による部分も少なくないだろう。事実、地方の時計店は胡坐をかいていて、十分な対策をしてこなかった店も多いからだ。

また、修理の部品を不正に横流ししてメーカーを激怒させるなど、モラルのない時計店があったことも、僕は知っている。

しかし、上記の2店は、かつて地域屈指の有力店であり、優良店だ。店員の知識も、折り紙付きである。昨今のモデルこそ知らないにしても、扱っていた時代の時計の知識は、はっきりと覚えていたのには驚きだった。

前述のように、通販がNG、什器もブランドが規定したものを入れないといけない、それでいて都会並みのノルマ・・・という要求を、資金力で百貨店や問屋に劣る地方都市の時計店が呑むのは、かなり厳しいと言わざるを得ない。

時計は今や生活必需品ではなくなった。だからこそ、趣味として楽しむ愛好家が一人でも増えないといけない。しかし、メーカーは裾野を広げるどころか、狭める戦略をとっている。

それが吉と出るか、凶と出るか。10年後、業界はどうなっているのか。誰にもわからないのである。

 

ロレックスが高くなりすぎ&モノが無すぎて、友人に“布教”できないのは辛い

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このブログでロレックスの話をいろいろ書いたら、「山内さんはロレックス嫌いなんですか?」「嫌いなら語るな」という趣旨のメッセージが来ました。

そんなわけないでしょ!!!!!!!!!!!

嫌いだったら、そもそも買いませんわ!!!!!!!!!!!!!!!

僕が文句を言いたいのは、明らかな供給不足に陥っている現状と、そして販売店側の対応です。特に供給不足はゆゆしき問題です。

僕はオタクですし、ライターの仕事をしていますので、昔から自分が良いと思ったものはとことん周りに布教しまくるタイプです。アニメ、漫画、建築、きのこ、旅行などなど。

時計も同様です。はまってから何人にも時計を買わせまくってきましたし、現状でも僕の布教活動によって時計を買おうと思ってくれている人がいます。昨年も、僕のすすめでロレックス買った人が10人いますし、そのうち2人は「三重の名店」まで足を運んで買ってくれています。

とにかく、僕が友人にすすめまくっているのはロレックスです。僕もいろいろ時計を買っていますし、持っていますし、使っていますが、絶対的に満足感が高いのはロレックスです。自信をもっていい時計だと言えますし、現に買った人は「やっぱりロレックスにしてよかった」と喜んでくれます。

ブランド力が高いだけでなく、品質の高さ、装着感の良さ、デザインの完成度など、すべてにおいてハイレベルです。そして、不思議と、どんな人が着けても似合ってしまうんです。こんな時計は、他に無いです。

何個も買う時計愛好家と違い、一般の方は数十万する時計は一生に一度の買い物になるかもしれませんし、試着して、納得した上で買っていただきたいのです。

ですが、現状とにかく正規店に行ってもモノを見ることができません。さらにレアモデルがあったら、問答無用で買わないといけない。並行店に行けばモノはありますが、定価に数十万円プラスという状況。

これでは、おすすめすることができません・・・

早く、もとのような状態に戻って欲しいものです。今の異常な相場の一刻も早い崩壊を、強く、強く、願っております。

 

 

↓ 参考までにamazon見てください。値段ヤバいよ・・・(汗)

 

デイトナを買いに来た客に、デイトジャストを売れるか?

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▼地方の時計店の天才販売員

僕は47都道府県にある主要な時計店は、ほぼ訪問しています。それ以外の小さな時計店も相当数、行っています。これまで訪問してきた中で、何人ものカリスマ店員といわれる方々に会ってきました。

その中でも凄いと思っている店員の一人が、某県の某時計店のHさんです(ご本人に迷惑がかかるとよくないので、名前は伏せます。しかし、業界では知らない人はいないでしょう)。

Hさんの実績は、しっかりと数字に表れています。

勤務先の時計店を、県内でロレックスの売上トップに押し上げました。さらに、セイコークレドールの販売実績、専門店部門で全国3位を獲りました。1位が東京・銀座の和光、2位は東京の某超有名店であることを考えると、3位という数字がいかに凄いのかがわかると思います。

ロレックスに関しても、コンセプトショップではない、普通のお店であるにもかかわらず、1位。地域一番店の大きい店を売上で超えてしまいました。Hさんは時計を売る天才なのです。

 

デイトナなんて誰だって売れる

ロレックスに限らず海外のブランドは、ここ数年で地方の中小の時計店との契約を次々に打ち切り、ほぼ都市部の百貨店に集約させています。そのため、Hさんが勤務する店も正規店から外れてしまいました。

しかし、契約を切られるまでの間、Hさんはロレックスを売って、売って、売りまくってきました。Hさんの凄さは、「人気モデルを買いに来た人に、不人気や普通のモデルを売る」ことができる点です。販売をやっている人なら、これがいかに難しいか、よくわかると思います。

ロレックスでもっとも人気のあるモデルは「デイトナ」ですが、Hさんに言わせれば「犬が売っていても売れる」「店員がいなくても売れる」時計であり、「そんなの売っても全然自慢にならんし、大したことない」と断言します。

そもそも指名買いするほど人気がある時計ですし、買ってそのまま質屋に持っていけば、数十万円儲かってしまうからです。

当然、Hさんのもとにも、問い合わせが殺到していました。普通の店員なら、「あいにく、在庫を切らしております」で終わりです。

 

▼全国トップクラスの販売実績

ところが、Hさんは客を、そのまま帰すようなことはしません。デイトナ以外のモデルの良さを丁寧に説明して、買わせてしまうのです。

デイトナが欲しいと言ってきた人に、ターノグラフやデイトジャストを買わせた」

カルティエやブルガリの時計を探している人に、ロレックスを買わせた」

デイトナなどのスポーツモデルが人気の中で、絶対に売れ残るという周囲の反対を押し切ってチェリーニを大量に仕入れて、すべて売ってしまった」

その販売力は、驚くべきものです。地方都市の小さな時計店であり、都市部と比べたら圧倒的に不利(しかも通販などはメーカーとの規定で、できません)な状況にもかかわらず、Hさんはそれができてしまうのです。

ましてや、ロレックスと比べたら知名度が劣るクレドールで全国3位は、並大抵の努力で作れる記録ではありません。そのためには、銀座でならバンバン売れるようなダイヤギラギラの超高価格帯のモデルを、地方都市でとんでもない数を販売しないといけないのです。

ちなみに、Hさんは3位になった前年に、5位を獲っています。マグレで掴んだ記録ではないことがわかるでしょう。

 

▼販売の機会を逃している

さて、今回のブログのテーマである、「デイトナを買いに来た客に、デイトジャストを売れるか?」です。現在の正規店には、デイトナを買い求める客が連日、凄い数やってきます。そのやりとりは、こうです。

デイトナありますか?」

「あいにく、在庫を切らしております」

終了。

店員の仕事は、在庫を伝えているだけ。はっきり言ってこれは時計屋の仕事ではありません。ただの雑用であり、ロボットでもできますペッパー君でもできる仕事ですし、コストカットをするなら店員を置かずに自販機があれば充分なのです。

ここで、「デイトナもいい時計ですが、こんな時計はいかがですか?」と提案できるのが、時計屋のプロの販売員でしょう。

ところが、僕は都市部のロレックス正規店を数えれない回数訪問していますが、そういった提案をほとんど聞いたことがありません。「在庫を切らしています」の先の会話が続かないのです。

確かに、店員も「デイトナありますか」という同じ問い合わせばかりで、うんざりしているのでしょう。しかし、せっかく客が来たのに、在庫確認だけで終わってしまうようでは、販売の機会を逃していることになります。それでは販売員失格なのです。

 

▼デイトジャストだけでいい

売店を外れてしまいましたが、Hさんは今でもロレックスが好きです。「今でも売れるなら、売ってみたいですか?」と訊くと、「もちろん」と即答されました。

スポーツモデルなんか、1個も要らない。デイトジャストとチェリーニだけでもいいから、卸してほしい。徹底的に売ってみせますよ

ああ、この人は、きっとできるんだろうなあと思いました。

ちなみに、Hさんはワンマンなタイプではありません。お店の従業員みんなで「チームで売る」ことが大切だと説きます。自分がいなくても売れるように、売り場に様々な仕掛けを用意することも忘れません。こうした細やかな気配りこそ、Hさんの真骨頂といえるかもしれません。

モノが売れない時代と言われます。その一方で、ラグジュアリーブランドも、量販店も、人材の育成を怠ってきました。そのツケが回ってきています。僕個人の印象では、高級時計店といえども、店員のスキルは著しく落ちているように感じます。

amazonなどの通販が台頭し、店頭販売からお客さんが流出している現在だからこそ、接客、販売の原点にもう一度立ち返る必要があると思います。特に経営悪化に苦しむ百貨店などは、もっとも考えるべきテーマでしょう。きめ細やかな接客力を使った販売は、ペッパー君にも、AIにもできない、人間ならではのスキルなのですから。

 

▼追記

↓ 過去にこんな記事も書いていますので、ぜひ併せて読んでいただけますと幸いです。

 

REAL ROLEX(21) (CARTOPMOOK)

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ゼロからわかるロレックス 改訂版 (CARTOPMOOK)

ゼロからわかるロレックス 改訂版 (CARTOPMOOK)

 

 

世界遺産になるべきだった長野県の岡谷市

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▼富岡と岡谷

2014年、群馬県富岡にある「富岡製糸場」が世界遺産に登録されました。僕はこのとき、セットで登録されるべきだったと思った地域があります。それが長野県(信州)であり、特に岡谷です。

岡谷は日本の絹産業・製糸業を牽引した都市でした。建築ヲタの間では伝説になっている5~6階建ての繭倉庫「吉田館」など、明治時代では異例の高層建築が立ち並んでいました。

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↑ 吉田館の繭倉庫。5階建ての繭倉庫(左)が見える。6階建てのものもあったというから、驚きです。

「おかやナビ」http://okaya-navi.info/search/aruki_taro/okaya/detail/77/ より引用


しかし、その多くが失われ、見ることができません。吉田館は1993年まで残っていましたが、取り壊されてしまいました。

現在、上田の笠原工業の「常田館製糸場」に4階建てと5階建ての繭倉庫が現存していますが、岡谷は「金上繭倉庫」の3階建てが最高層です。

建築が残っていれば、間違いなく、富岡とセットで世界遺産に登録されていたことでしょう。

 

▼官と民、レンガ造と木造

富岡と岡谷はともに絹産業のメッカでしたが、異なる発展の仕方を辿っています。

簡単に言えば、富岡は“官”営の模範工場でしたが、岡谷は“民”営の工場が中心だったのです。

岡谷は山間部に位置します。広い耕地に恵まれず、冬の寒さも厳しい土地でした。そのため、既に江戸時代の頃から、人々は生計を立てるために養蚕を行っていました。

明治時代に入ると、中山社が安く利便性の高い諏訪式繰糸機を発明します。これは全国に広まった代表的な器械であり、圧倒的な効率化が実現されました。こうした数々の発明を受け、民間の手によって、岡谷には製糸工場が相次いで建設されていったのです。

建築の構造も異なります。富岡製糸場は、フランスの技術を参考に建設されたので、洋風のレンガ造。一方、岡谷をはじめとする信州の繭倉庫は、 江戸時代から継承された伝統的な土蔵の建築技術を発展させているため、木造が主体になっているのです。

国内全体で見ても、養蚕関係の建築は、富岡よりも信州のような木造で建てられることが多かったようです。

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↑ 富岡製糸場の東繭置所。お雇い外国人のフランス人、ポール・ブリューナの指導をもとに整備したため、洋風で建設されています。

「しるくるとみおか 富岡市観光ホームページ」http://www.tomioka-silk.jp/ より引用。


▼世界に知られていた岡谷

岡谷は多い時では105棟にも及ぶ繭倉庫が軒を連ね、およそ1000本もの煙突がそびえていたといいます。最盛期には3万人もの工女が日本中から集まったといいます。

そして、岡谷の生糸は中央本線を経由して横浜まで運ばれ、世界に輸出されました。絶頂期は日本産の生糸の4分の1が岡谷系の企業産だったといいます。そして、ニューヨークでは“Silk Okaya”と呼ばれ、品質が高く評価されていたのです。

これは、製品を通じて日本の名前が世界に知られた、最初期の例といえるでしょう。世界に影響を与えたという意味では、富岡よりも世界遺産にふさわしいかもしれません。

 

▼中国産の生糸に敗北して壊滅

岡谷は今でいえば愛知県の豊田のようなモノづくり都市でした。

ところが、日本のモノづくりに超ありがちなパターンですが、中国産の安い生糸に敗北し、あっさりと岡谷の製糸業は壊滅してしまいました。日本のモノづくりは何度このパターンを繰り返しているのでしょうか。腕時計産業然り、テレビなどの家電製品然り。歴史に学ぶ必要があります。

岡谷の街を歩いていると、「旧林家住宅」などの生糸で財を成した実業家の邸宅などはありますが、巨大な繭倉庫は見当たらず、寂しい限りです。

日本のモノづくりの栄枯盛衰をもっとも物語っている岡谷の絹産業・製糸業。世界遺産の富岡と合わせて、広く知られるべき文化遺産だと思っています。

 

富岡日記 (ちくま文庫)

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