かがり美少女の中の人ブログ

かがり美少女イラストコンテスト主催者の山内が、好き勝手なことをつぶやいています。最低最悪なクソな内容多し。今流行っている「自己責任」で読んでね( ^ω^ )。だから、たまに(いや、かなりの頻度で)嫌な感じのことを書きますが、ゆるしてニャン☆

「人を紹介してください」「〇〇さんに会わせてください」の依頼は、今後一切受け付けません!

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ライターの仕事をしていると、実にいろいろな人に知り合うためか、「〇〇さんを紹介して欲しい」という依頼がめっちゃくちゃ来る。

以前は良かれと思って、僕が橋渡し役になり、人と人を合わせたりしていた。しかし、昨今ちょっとトラブルが連続してあり、もう今後は一切、人を紹介しないと決意した。

もっとも腹が立ったのが、紹介してくれと頼んできた奴が、その人が想像と違う雰囲気で関係がうまく築けなかったらしく、あろうことか俺に対し「〇〇さんはむかつく」とメールしてきたことだ。

おいおい、お前が紹介しろと言ってきたんだろうが。会いたいと言ってきたんだろ。それでいてなんだ、お前のその態度は。あとは自分で責任をとれ。どうして俺のところに、むかつくだのどうだのと、メールを送ってよこすのだ。

意味が分からない。

何より、こういった態度をとられると、紹介したこちらも不快になるし、何より責任も感じてしまうのだ。だいたい、俺はタダで人を紹介しているのである。労力を消費しただけ、そいつが何か俺にメリットをもたらしてくれる(1億円くれるなど)のならまだ許せるが、そういうスキルのある相手ではない。

だから金輪際、人を紹介するのは止めることにした。

良かれと思ってやったことが、憎しみを生み出す。「魔法少女まどか☆マギカ」でもよくあるパターンだ。俺はこれ以上、ソウルジェムを濁らせたくないので、もうこういっためんどくさい依頼は全力で無視することにしたい。

人に会いたいなら、自分からアポをとって、会いましょうね。

おにいさんとの約束だぞ。

 

町おこしin羽後町―美少女イラストを使ってやってみた

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デイトナランナーは並行が安くなったら正規店で買うのか?

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▼なぜ彼らは正規店で買うのか

ある時計店の店員と話をした。彼は勤務年数が非常に長く、ロレックスの人気の変遷をずっと見てきている店員だ。彼はいわゆるデイトナランナー、GMTマスターなどのスポロレのランナーをいたく嫌っている様子だった(というか嫌いなんでしょうけど)。

発言を要約して紹介しよう。

「要は彼らって、並行店より正規店が安いから買いに来ているだけ」

「並行店で買っていた人たちが、正規店に流れてきているだけ」

「安くなったら並行店に行くに決まっている。彼らに商品を売っても、店としては長い付き合いにはならない]

「だからレアモデルは出さない」

 

▼要は正規店で買うのが安いからランナーをやってる

この発言を暴言と取るか、正論ととるか。そのへんの判断はブログ読者に委ねたいと思う。

しかし僕はおおむね賛同する

間違いなく、今のデイトナランナーは正規店に普通に時計が並ぶようになり、並行店の方が安くなったら、正規店では買わくなるだろう。ロレックスそのものに興味がなくなる人も多いだろう。

彼らはスポーツモデルにしか興味がない。そして、正規店に普通に並んでいた時代は興味がなかったくせに、レアになったから欲しくなったという人が多い。そして一部には、転売目的の人も含まれている。んで、明らかにツイッターにいるランナーには転売目的の人がいる(笑)。

正規店は、こうした客は歓迎していない。もちろん、公正、平等と言う建前があるから、ある程度は販売しないといけない。しかし店員としては面倒に思うだろうし、苦々しく感じているところだろう。

 

▼お得意様を優遇するのは当たり前

デイトナランナーの中には、「外商顧客を優遇するのはずるい」と言うバカがいる。しかし、正規店がお得意様を優遇するのは当然のことだ。

僕が秋田で良く会う某氏は、ロレックス購入歴15年、30代後半のイケメン社長だ。彼はロレックスが並行の方が安かった時代から正規一筋で買続けてきている。スポロレが今ほど人気がなかった時代に、GMTを買っていた(この時代は並行が半端なく安かった)し、一切他の店に浮気をせずに、信頼をずっと築いてきた。

だから今でも最優先でレアモデルが彼のもとにやってくる。ステンレスのデイトナは当然で、GMTマスター赤青、赤シード、グリーンサブなどなど。最近はスカイドゥエラーの青を買っていた。

あなたが仮に外商だったとしよう。

(1)一時的な人気に飛びついて、デイトナ欲しい、GMT欲しいと言って正規店を回るランナー。

(2)人気なかった時代から浮気をせずに同じ店でロレックスを買い続けている客

どっちにレアモデルを回したいと思うだろうか?

答えは明白だろう。

 

▼レアモデルさえ出してくれたら店員は誰でもいい

それにしても、デイトナランナーの中には、特定の店員を「冷たい」「塩対応」と言っていたくせに、レアモデルを出されたら「女神」と呼んだ奴もいる。あまりの豹変ぶりに唖然とした。

このランナーは別の某正規店の店員を「眼鏡男」「」と呼んだりしている。レアモデルを出してくれず、塩対応されるから腹が立っているのだろう(確かに僕もこの店員は感じ悪いなあと思うのだが)。

しかし、この“眼鏡男”店員がレアモデルを出してくれたら「神様~~~~!!!!」と、これまた豹変するに違いない。実にわかりやすいではないか。

こういう客は、要はレアモデルさえ買えればどこの店だっていいのである。店員の接客など、ぶっちゃけどうでもいい。すなわち、店員を自販機程度にしか考えていない。ゆえに、店との信頼関係を築くことはできないのだ。時計屋にとっても、ブランドにとっても、まったくもってありがたくない客なのである。

こうしたランナーが増えていることで、店員が疲労困憊し、精神が疲弊し、塩対応になってしまっていることを、ランナーはいい加減に気づくべきだと思う。

 

町おこしin羽後町―美少女イラストを使ってやってみた

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昔の商店や農家みたいに、「いい加減に」「テキトーに」働ける時代になれ!

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▼ぼくがかんがえる、りそうのはたらきかた

「好きなことを仕事にしようよ」と、ZOZOの前澤や、ホリエモンなどがそう言っている。ブラック企業で有名になったワタミの社長も似たようなことを言っていた。しかし、そんなことを言えるのは、好きなことを仕事にできたごく一部の人たちだけだ。

一方で、与党も野党も頼りない、どうしようもない連中ばっかりだ。日本政府は働き方改革を唱えているが、一向に成果が出ていない。アホ政党の日本共産党に至っては、1日8時間働けば普通に暮らせる社会を、とか言っている。

バカじゃないのか。

僕が理想と考えるのは、「いい加減に働き、いい加減に過ごすことが許される世の中」だ。

 

▼昔の仕事はテキトーだった

コンビニもスーパーもなく、個人経営の店が主体だった時代までさかのぼってみよう。

かつては、店を開ける時間も気分次第だった。ちょっと体調が悪い、友人に会ってくるとかで、定休日でもないのに(いや、そもそも定休日という概念が存在しない)勝手に休んでいる店がごまんとあった。店の奥で新聞やテレビを見ていて、客が来たら適当に店に出てくる店主がごまんといた。

農家だって、田植えと稲刈りは忙しかったけれど、それ以外の時間はたまに見回りに行く程度で、ほとんどの時間は働かなかった。今の農家は農作物の質を上げるために、農薬をまいたり、虫を駆除したりと、こまめに働く必要がある。これも消費者に合わせた結果、ちょっとでも曲がっていたり傷がついていたら売り物にならなくなったためで、自分たちで自分たちの首を絞めた結果だ。

今の概念からしたら、昔の人はなんてプロ意識が低いんだと思うかもしれないけれど、それが普通だった。それでよかった。

お金は今ほど稼げなかったかもしれないけれど、そのぶん時間もあったし、メディアも発達していなかったから、インスタやツイッター金持ちと自分の生活を比較するようなこともなく、幸せだったのではないか。

 

▼現代的な働き方の歴史は浅い

職業選択の自由、というか適当に仕事をする自由を、昔の人は謳歌していた。引きこもりやニートがまた社会問題化しているけれど、表に出ないだけで、昔はそんな人はそれこそいっぱいいたのだ。

そもそも、サラリーマンとか公務員という働き方が生まれたのは明治維新以降のことである。一般化されたのはさらに時代が下って戦後のことで、高度成長期の頃だから、50年前後くらいの歴史しかない。それまでは多くの人が自営業者であり、フリーランサーのような働き方をしていた

にもかかわらず、サラリーマンにならなきゃいけないと多くの若者は思い込んで、就活に勤しんでいる。

そして、サラリーマンになると、個性を出せと言うくせに個性を出すと文句を言ってくる上司のもと、朝早く会社に行くことを強いられ、意味不明な飲み会に付き合わされて遅く帰ってくる。給料の中から年金や保険料や税金を支払う。ローンを組んで家を買う。見事に、社会の歯車に組みこまれていく。

日本ほど社会主義が成功した国は無いと言われるけれど、その通りだなと思う。

 

▼日本人だから、働き方改革ができる?!

いい加減に働き、好き勝手に過ごす。繰り返すようだが、かつてはそれが当たり前だった。

しかし日本人は多数派に呑まれる傾向にあるから、サラリーマンが増えると自分はサラリーマンをやらないといけないと思い込み、そういう働き方に向いていない人間までもがそういう働き方をはじめて、結果、病んでしまったりしている。広告代理店に自分から望んで就職したくせに、勝手に病んで自殺した東大卒の女子などは、その典型だろう。

こうした悲劇を生まないためにも、いい加減に働ける時代に戻すべきだ。日本人は長いものに巻かれる民族である。あの大東亜戦争は国民が開戦論を唱えて始まり、戦時中はみんな揃って戦争推進派だったくせに、戦後になると反戦に考えが変わって東條英機をそろってバッシングするようになったことからもわかる。

そんな国民性の日本だからこそ、人々の考えを一斉に変えることは可能だ。いい加減に働くという考えをマスコミなどが浸透させ、多数派にしてしまえば、次第に社会は変わるだろう。

不可能だと言う人がいるだろうが、そんなことはない。成人の2人に1人が吸っていたタバコを、ここまで無くすことができたのだ。「働くことは害だ!」みたいなキャンペーンを大々的に打って欲しいと思う。そうやって、令和の時代は昭和の商店や農家みたいに、いい加減かつテキトーに働ける世の中に変わって欲しいのだ。 

もっとも、それだと税収が減るだろうから、日本政府も、そして税金で飯を食っている立憲民主党日本共産党山本太郎のような野党議員どもも許さないだろうけど(笑)。

 

町おこしin羽後町

町おこしin羽後町

 

幻冬舎が謝罪したが、まったくの的外れな謝罪だ

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↑ 幻冬舎が公式ホームページで今日発表した謝罪文。令和早々、同社は出版史に残る大失態をやらかしてしまった。しかし、この謝罪では何も解決していない(詳細は本文にて)。

 

▼何も解決していない謝罪

幻冬舎が公式ホームページで津原泰水に謝罪した。

しかし、謝罪文を読んで、なんじゃこりゃと思った。まったく意味のない謝罪なのである。

当ブログでたびたび書いている通り、一連の騒動は、百田尚樹の著書「日本国紀」のコピペ疑惑に端を発する。そして、未だ決着していないコピペ疑惑こそが、出版界を揺るがす最大の問題なのである。

「日本国紀」は、発売直後からネット上でwikipediaからのコピペが疑われてきた。そのコピペ疑惑をツイッターで指摘した一人が、津原泰水なのである。

津原は決して販売妨害をしようとしたのではない。むしろ幻冬舎のためを思って、発言したものだと思う。しかし、幻冬舎は指摘を受け入れることなく、津原の文庫本を発売中止にしてしまった。

そして、津原が発売中止になった旨をツイートしたところ、幻冬舎社長の見城徹がこれに応戦。「あなたの本は『日本国紀』と比較して、こんなに“売れていない”んですよ」と言わんがために、実売部数を公表した…という流れである。

 

▼問題の本質はコピペ疑惑

謝罪文を読めばわかるように、今回は見城が実売部数を公表した件に関する謝罪なのである。これを読んだ一般人の中には、「実売部数を公表することの何が問題なの?」「そんなに騒ぐようなことなの?」と思った人もいた(ツイートでそう言及している人が結構いる)。

幻冬舎は、そうした反応を狙っているのかもしれない。しかし、見城徹が実売部数をツイッターで公表したことは、一般人の反応が示すように、大した問題ではない。問題の本質は、あくまでも「日本国紀」のコピペ疑惑なのだ。

幻冬舎は増刷の度にコピペが指摘された箇所などをこっそり修正して流通させているが、“事故本”の初版は未だに回収されていない。正誤表も一切公表されていない。そして、あろうことか、初版と3刷と6刷が混ざって書店に並んでいるのだ。

これは、読者に対し、極めて不誠実な対応と言うほかない。というか、事故本と修正版を一緒に並べて売る出版社など、あっただろうか。ここまで酷い対応はそうそうないし、私がこの業界にかかわっている10年間でも最悪レベルである。

 

▼右か左かはどうでもいい

「日本国紀」の支持者は、右寄りの思想の持ち主が多い。ツイッターを見ると、彼らの中には、コピペ疑惑は“アンチによる攻撃”だと言っている者がいる。百田もそうした支持者を煽り、論点逸らしに必死になっている。

しかし、そもそもコピペは書籍の信頼を揺るがす問題であり、どのような思想の持ち主であろうと、やってはいけないのである。思想が右か左かとか、そんなことは関係ない。右側の人間がやろうと、左側の人間がやろうと、同様に非難される問題なのである。

私は神社の家系に生まれたこともあり、どちらかといえば右寄りの思想だ。慰安婦南京大虐殺大東亜戦争などについて、百田の主張に共感できる部分はむしろ多い。しかし、それでもやはりコピペは認めるわけにはいかない。思想とは切り離して考えないといけないのである。

繰り返すが、出版界の慣例に反して部数を公表したことは確かに問題であるのだが、一連の流れからすれば些細なことである。「日本国紀」のコピペ疑惑に対する回答を、一向に行わない隠蔽体質が批判されているのだ。

 

▼コピペだけは頑なに認めない

今回の謝罪文でも、コピペ疑惑には一切触れていない

幻冬舎以外の出版社は、コピペが判明すれば回収し、交換対応をするケースが一般的だ。その対応には莫大な手間と金がかかるし、ひとたび認めれば、出版社の信頼は失墜してしまう。だから、幻冬舎は頑なにコピペ疑惑を認めたくないだろうし、これからも隠蔽に努めるかもしれない。

しかし、ネットでこれほど疑惑が明らかになってしまっているのだ。ネット社会のご時世、いったいどこまでシラを切ることができるのだろうか。

むしろ、今回の謝罪文でコピペ疑惑も併せて謝罪してしまえば良かったのである。そうすれば、ツイッター住民や読者も赦してくれたはずだ。だが、残念ながらコピペ疑惑には一切触れられなかった。

幻冬舎は巧妙に幕引きを図ろうとしたのかもしれないが、これでは赦されるはずがない。鎮火する気配はないし、このままでは再び謝罪に追い込まれるのも時間の問題ともいえる。

 

▼歴史の本を作ったのに、歴史に学ぼうとしない

いつまで経っても「日本国紀」のコピペを認めなかったために、見城の実売部数公表があったし、今回の謝罪に繋がったといえる。

しかし、繰り返すが、謝罪はしたもののコピペ疑惑に関する謝罪ではないから、まったく解決していない。きっとどこかで、再び大炎上するだろう。

雪印乳業船場吉兆などがそうだが、問題に向き合おうとせずに逃げ回った挙句、鎮火が遅れ、崩壊してしまった企業はたくさんある。過去の事例と比較しても、幻冬舎の隠蔽体質は凄まじいものだ。ひとたび鎮火手段を誤れば崩壊しかねない状況に陥っていることは、誰の目にも明らかであろう。

それにしても、歴史に学ぼうとしない見城はじめ幻冬舎、そして百田が歴史の本を出すなど、ギャグでしかない。歴史は年号を暗記したり、昔はよかったとセンチメンタルな気持ちに浸るために学ぶものではない。過去の失敗を現代に生かすための学問なのだ。

幻冬舎が今後どうなるか。それは読者が判断することである。しかし、読者に対して舐めた態度をとり続けているツケは、かなり大きいと覚悟すべきだろう。

 

日本国紀

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幻冬舎大炎上事件、問題の本質

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▼問題の論点逸らしを続ける幻冬舎百田尚樹

幻冬舎社長の見城徹ツイート大炎上事件は、近年の出版界に大きな汚点を残す歴史的な事件になってしまいました。見城はツイッター、755、さらに冠番組「徹の部屋」も辞めることを宣言し、事実上逃亡しました。

争点になっている百田尚樹の著書「日本国紀」については、ネットにいろいろな人が意見を書いています。しかし、論点がずれている意見が多いので、一度整理してみましょう。

朝日新聞毎日新聞の記事では、実売部数を作者に伝えない出版界の商慣習に反して、見城が部数をツイッター上に晒したことが問題と述べています。また、「日本国紀」著者の百田や編集を担当した有本香は、「この本が売れると困る人(左翼か)がいる!」と、信者を煽っています。

百田も有本も、論点逸らしに必死だなあ。

あのねえ、慰安婦がどうだとか、南京大虐殺がどうだとか、大東亜戦争がどうだとか、そんなことはどうだっていいのよ。様々な立場から様々な意見があり、正解がありません。ですから、百田が自著で考えをどう述べようが自由ですし、なんら問題はないのです。しかし、「日本国紀」で問題視されているのは、そんなことではないのです。

 

▼不良品を売り続ける幻冬舎の姿勢が問題

そもそも「日本国紀」が叩かれている原因は、wikipediaなどからのコピペ疑惑があり、ネットなどで指摘された箇所を増刷の際にこっそり修正して、正誤表も出していない点にあります。騒動の中心になり、見城に部数を晒された津原泰水も一貫してこの点を問題視しているのです。右翼VS左翼の思想的な論争ではありません。

いわゆる誤植の修正、例えば「会う」を「合う」と誤記した程度なら、正誤表を出さずに修正しても別に問題はありません。しかし、「日本国紀」の場合は、内容がまるまる別物になるような修正を、しかも増刷のたびにこっそりと加えているのです。

したがって、初版は明らかな不良品であり、正誤表を出したうえで、速やかに回収、交換されないといけません。ところが、初版は未だに本屋に並んでいます。うちの近所の本屋にもありましたし、しかも、初版と、3刷、6刷が混ざっておかれていました(汗)。

増刷の度に修正が加えられている事実を知っている読者は、おそらく少数でしょう。こうした致命的な間違いを放置し続けることは、出版社として、読者に対し、あまりに不誠実と言わざるを得ません。百田も、有本も、そして見城も、コピペ問題に真摯に向き合わずに逃げ回っています。他人に対しては上から目線のくせに、自分たちが叩かれると逃げてばっかりなのです。実にダサい連中です。

雑な本を作り、雑な売り方をして、しかも読者を裏切るような真似をしているのですから、幻冬舎が袋叩きにされても仕方ないといえます。

 

幻冬舎は読者の批判と向き合え!

それにしても、こうした不良品を売り続ける幻冬舎、そしてコピペを平気でやっちゃって開き直る百田のような連中が、誇らしい日本、素晴らしい日本と言っているのは、ギャグとしか思えません。

こいつらは韓国を笑えるような立場なのでしょうか。こんな杜撰な仕事は、日本の出版界の恥を晒すようなものです。むしろ、百田や有本は杜撰な仕事で日本を貶めようとしているのではないかとすら思えます。

繰り返しますが、問題になっているのは、本の内容ではないのです。言論の自由が日本では保障されていますから、慰安婦大東亜戦争をどのように書き、論じようと、好きにすりゃあいいのです。コピペと無断修正が問題なのです。論点を逸らしてはいけません。

コピペと無断修正は書籍の信頼を損ねる問題であり、出版界全体に影響する問題です。見城徹SNSから逃亡しましたが、この問題はまだ全然終わっていません幻冬舎は読者の批判から逃げるのではなく、しっかりとこの問題に向き合わないといけないと思います。

 

 

日本国紀

日本国紀

 

御朱印ブームで巻き返す伝統宗教、そして信者減少に苦しむ新興宗教

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御朱印集めが大ブーム

10年ほど前は「若いのにそんなものを集めているの?」と言われるほど、超マイナーな趣味だった御朱印集めが一大ブームになっています。

令和に改元される際、明治神宮では「令和元年5月1日」の御朱印を求めて、10時間待ちの行列ができました。

僕が御朱印を集め始めた10年前は、明治神宮だろうと、伏見稲荷大社だろうと、清水寺だろうと、すぐに貰うことができました。それが今や、有名な寺院だと平日にもかかわらず朱印所に列ができます。休日は長蛇の列。数十分、並ばなければいけないこともあります。

伝統宗教がここまで見直されたのは、久しぶりのことでしょう。

 

新興宗教の信者は減少中

一方で苦悩しているのが新興宗教です。明らかな信者減少に苦しんでいます。僕は取材で新興宗教の信者の集まりに行くことがありますが、明らかにジジババばっかり。若い人が来ていません。

「昔の方が活気があった」「どうすれば若い人が来てくれるのか」「若者が興味があるのはゲームやアニメばっかりだ」と嘆くジジババの声を多数聞いています。

宗教団体の信者数が発表されているのは、文化庁が刊行する『宗教年鑑』ですが、ここに掲載されている数字は当てになりません。新興宗教から報告された数字をそのまま載せているためです。基本的に、宗教団体は自分たちの勢いを誇示するために、数を盛っていることがほとんどです。

ただ、確実に信者数は減っています。

なぜでしょうか。

 

伝統宗教のゆるさが人を引き付ける

伝統宗教新興宗教、最大の違いは「ゆるさ」にあると考えています。

誰でも気軽に信仰とかかわれる。ニワカでも気軽に宗教施設(寺や神社)に行ける。これが魅力なのです。

対して、新興宗教は、厳格な信仰をもつ教団が多かったのです。例えば、新興宗教で屈指の規模を誇る創価学会はその筆頭です。高度成長期の頃は、他宗の信仰は謗法であり邪教だとして攻撃的な姿勢をとっていました。また、修学旅行で寺に行かない信者も多く、それがアンチを生む一方で、信者間の結束力を生む要因にもなっていたのです。

そんな創価学会ですが、昨今はソフト路線に転換しています。信者は普通に寺や神社に行きますし、学会側もそれを容認しています。かつての厳格な教えを重んじる信者も中にはいますが、ジジババだけです。

 

▼ソフト路線への転換は信者減が原因

創価学会がソフト路線に転換したのは、支持政党の公明党が長らく与党にいることや、カリスマ・池田大作名誉会長が表に出てこなくなったなどの要因もあると思いますが、単純に信者が減っているからでしょう。

昔ながらの厳格さでは若い人が信仰をもたないという危機感があると思います。

御朱印はスタンプラリー感覚で集めることができ、誰でももらえます。とてもゆるいです。たしかに転売などの問題は生じていますが、なにはともあれ、一般人を社寺仏閣に向かわせる要因になっているのは事実でしょう。こうした伝統宗教の勢いに対し、新興宗教は打開策を見いだせずにいます。

果たして、新興宗教の未来はどうなるのでしょうか?

若い人がいろんなことで悩んでいる現代だからこそ、信仰の力が必要だと僕は思うのですが・・・ あ、その役割は伝統宗教が担っているからいいのか(爆)。

 

全国御朱印図鑑

全国御朱印図鑑

 

 

憧れだった見城徹さんさようなら

僕はもうすぐ編集とライターの仕事に区切りをつけますが、そんな最後に飛び込んできたのが幻冬舎社長・見城徹さんの大きな不祥事でした。

これで僕は潔く引退できるかなと、強く感じました。

このブログに以前書きましたが、僕は見城徹さんの熱狂的な信者でした。編集とライターをやろうと思ったのも見城さんに憧れてのことでした。

見城さんの初期の著作はほとんど読んでいると思いますし、その仕事ぶりについては、ツイッターで「見城さんに憧れています!」とリプ返ししているニワカ信者よりも、遥かに熟知しています(というか、ニワカ信者どもは憧れているだけじゃなくて、すぐに行動しろよ!)。

僕は見城さんの考えを地方の商品開発に応用しました。結果、「美少女イラスト入りあきたこまち」や「スティックポスターin羽後町」などなど、多くの方の協力の下で、数々のヒット商品を出させていただきました。また、幸いにもライターや編集の仕事でも高く評価される仕事をさせていただきました。

そんな僕の目から見ても、最近の見城さんは変わってしまいました。別に人の考えが変わるのはいいのですが、見城さんの場合、明らかにダメな方向に変わってしまったのが残念なのです。

確かに、見城さんは以前から顰蹙を買うような非常識な振る舞いをしていました。しかし、その圧倒的な行動力が、閉鎖的かつ閉塞的な出版界を変える力になっていたと思います。ところが、最近では非常識な振る舞いの、単に非常識な部分だけが目立つようになってしまいました。

かつては反権力であり、常識をひっくり返すような企画を作っていました。今では権力にすり寄るだけのクソダサいオヤジになってしまいました。

特に2010年以降の仕事など、見るに堪えないものばかりであり、見城徹の影武者、もしくは見城徹に似た何かがやった仕事とでも思いたいものです。

で、一連の幻冬舎騒動で実感したことなのですが、やっぱり現実の人に憧れるのはよくありませんね。特にその人がツイッターを始めたりして本音を書き始めると、がっかりさせられることが多い。憧れの人がやらかすと、精神的なダメージがでかいとわかりました。

やっぱり、裏切らないアニメのキャラクターに憧れるのが一番だと思います。

以上!

 

異端者の快楽 (幻冬舎文庫)

異端者の快楽 (幻冬舎文庫)